葛飾的

葛飾物語

先日観た川島雄三監督のデビュー作「還って来た男」のなかに「巻脚絆」が出てきて、ちょうど読んでいる小説にもそれが登場すると書いた(→5/15条)。その小説とは、半村良さんの長篇葛飾物語』*1(中公文庫)のことである。敗戦数ヶ月後、登場人物たちの間で交わされた会話に出てくる。

重吉は縁側に腰をおろし、茶色の軍靴をぬぎはじめた。
「もう巻脚絆をしなくてもいいんだろうな」
「巻脚絆じゃなくて、もうもとのゲートルといってもいいのよ。解いちまいなさい」(61頁)
葛飾物語』は、葛飾奥戸から四つ木に抜ける「立石大通り」から入った路地奥に住まう人々の有為転変を、戦前から平成の時代までの約50年間見すえた小説である。時間の流れを途切れなく描いてゆくのではなく、最初が「昭和十八年の場」、以降「昭和二十年の場」、二十二年、二十四年、二十六年、三十年、四十年、五十年、六十年、六十三年、平成と、何年かおきにあるひとつの時点での登場人物たちの交わりを、定点観測のように輪切りに見せながら、人々の成長、心の変化を描きながら大きな時代の推移を描くという手法がとられる。
その輪切りの契機となるのが、もともとそこに住み、向こう三軒両隣の近所付き合いのなかで互いに助け合い、慕われていた人物の命日である。村八分の残り二分が法事と火事と言われるように、むかしの日本における濃密な生活共同体のなかで、法事は相互扶助の重要な結節点となっていた。ある人物の死というあらかじめ喪失されたポイントを人びとの結節点と定めた半村さんの視点は鋭い。
最初の「昭和十八年の場」では、三年前に病死した男の祥月命日の一日にカメラが固定される。灯火管制の下、空襲警報に怯えながら、立石の路地奥で支え合い暮らしていた人びとが、物資が少なくなるなか、とっておきの日本酒を持ち寄り、泥鰌鍋をつつきあいながら故人を偲ぶ。緊迫した情勢にあるにもかかわらず、この物語に出てくる祥月命日のなかで、もっとも人びとの心が温かかった一瞬である。
故人に学資を出してもらってせっかく大学に入学したのに、学徒動員で戦地に送られることが決まった若者が、その日出征の挨拶に訪れ、場は一瞬にして陰鬱な空気に変わる。
 春野が生前よくいっていたのは、葛飾にいる知り合いに、太郎という名のつく者はめったにいないということだった。
 それもそのはず、生まれた家は別々でも、みな次、三男以下の余計者ばかりなのだ。それがなんとか自立しようと、縁を頼って集まってきて、いまこの家にいるような人間構成になっている。ここでは、本家もなければ分家もない。いわば故郷喪失者たちなのだ。
 だからこそ、この葛飾を子供らの故郷にしようと、助け合い励まし合い、また慰め合って頑張っている。金持なんかいやしない。ほとんどが借家暮しで、仲間同士集まって笑い合えるのがしあわせの証拠と思っているのだった。(29-30頁)
上の引用文で「春野」とある人物が故人である。夫を失い「昭男」「和男」と名づけられた二人の子供を女手一つで育てなければならない、時あたかも戦時中。こんな物騒な世の中だから、家庭に男がいないことは何かと不便である。近所の人たちはそれを慮り、故人の工場で働いていた部下を未亡人の後添いに迎えようとする。
ところが入籍も済ませない以前にその男も召集されてしまう。無事復員して戻ってきたものの、故人の部下という立場の男を夫として、あるいは父親として迎え入れなければならない未亡人、子供たちは戸惑いを隠せない。未亡人は「二番目の夫」が出征中、経済的援助を惜しまなかった会社社長といい仲になり、それが原因で入籍していない夫婦に亀裂が生じる。そこから近所付き合いにも微妙な影がさしはじめる。
戦争は生活する場所を奪っただけではない。人の心をも変えてしまった。そこで生じた溝は誰が、どのようにして埋めてくれるのか。
すべてが限界に達していた。敗戦の混乱はもう清算しなければならない時期へ来ていたのだ。国家ばかりではなく、個人の段階でも。(140頁)
これは「昭和二十四年の場」の一節である。思えば先ごろ観た映画「銀心中」も、同じように戦争がもたらした男女の悲劇を描いたものだった(→5/9条)。おそらくあの映画も同じような時期を描いたものだろうし、個人の段階でも敗戦の混乱を清算しなければならないという認識は共通するものだったに違いない。
「物事、そう突き詰めて考えちゃいけないよ。いいかげんのところで馴れ合っておくのが葛飾的」(231頁)
「昭和三十年の場」のなかで登場人物の一人の口から語られたこの台詞が、妙に印象に残って仕方がない。