奇行の裏側

打撃の神髄 榎本喜八伝

以前馬見塚達雄『「夕刊フジ」の挑戦―本音ジャーナリズムの誕生』*1(阪急コミュニケーションズ)を読んだとき(→2005/5/10条)、「興味深いエピソード」として気になったのが、近藤唯之さんの連載「プロ野球・伝説男伝」のことだった。馬見塚さんが編集局長時代に企画されたもので、馬見塚さんはこの連載について、「近藤の連載では珍しく単行本・文庫にはならなかった」ことから、「企画倒れではなかったのかと、いまでも反省している」という。
そこで取り上げられていた「伝説男」というのは、榎本喜八石戸四六・永淵洋三らとある。榎本はともかく、石戸・永淵という選手は知らない。榎本喜八についてこの連載で近藤さんは、「榎本あってこその企画」として、トップバッターとして榎本喜八を取り上げようとする。取材になかなか応じなかった榎本を説得し、ようやく「一回一時間だけ」という条件で承諾を得たという。榎本は打撃論になると時間を忘れて話すので一時間が四時間になったらしいが、これを近藤さんは連載で54回分にふくらませたという話から、近藤さんの執筆方法の一端を明らかにしている。
ちょうどこの本を読んだ直後だったと思うが、松井浩『打撃の神髄 榎本喜八伝』*2講談社)という新刊の書評に接し、馬見塚さんの本で「選手生活の晩年はベンチで座禅を組んだりするような奇行も多く、十八年間で2314本の安打を記録しながら、引退後も名球会に加わらず、マスコミとの接触もいっさい絶って、その私生活はナゾにつつまれていた人物」とあったことで抱いていた榎本喜八という人物への関心が高まっていたおりもおり、なんたる偶然と喜んだのである。
しかしながらめぐり合わせが悪く、新刊書店で『打撃の神髄 榎本喜八伝』となかなか出会うことができなかった。そこで新刊購入をあきらめ、古本(ブックオフ)で入手しようと気持ちを切り替え、それからというもの、ブックオフを訪れたときには単行本著者五十音棚の「ま」と、単行本スポーツの棚を熱心に探すようになったのである。結局入手できたのは、今年の正月、実家山形にあるブックオフにおいてのことだった(→1/1条)。
本書で著者松井さんは、榎本の「奇行」「奇人」というレッテルをまず取り払う。そのうえで打撃の職人としての選手像を、その打撃論を真っ向から受け止め、理解するという正攻法で明らかにしようとした。前述の近藤唯之さんの取材でも一時間が四時間になったように、打撃論となると話が止まらなくなる榎本は、母校早稲田実業の先輩である荒川博を師と仰ぎ、彼が通っていた合気道を一緒に学ぶことにより、「打撃の神髄」を極めようとする。
野球以外には目を向けないという禁欲的求道者的精神が極端に走ると、他人の眼からは「奇人」に見えたということになるのだろう。合気道に立脚する榎本の打撃理論は難しいうえに抽象的だから、他人にその秘訣を伝授しようとしても相手にされなかったことが、引退後コーチなどとして野球界に残る道を狭めてしまったのである。
榎本は長嶋茂雄と同年で、現在の千葉ロッテマリーンズの前身毎日オリオンズ(チーム名は大毎・東京・ロッテと変わる)に長く在籍、西鉄に移籍した1972年のシーズンを最後に引退する。わたしのプロ野球の記憶のもっとも古いものは、長嶋が引退した翌年、監督として采配を取った巨人が最下位となり、赤ヘル広島が初優勝した1975年だから、当然榎本の現役時代を知らない。かろうじて名前を知っている程度だった。
その記録を見ると、イチローにさえ破られていない1000本安打の最年少記録(24歳9ヶ月)を持っているというし、2000本安打を達成したのは、川上哲治山内和弘に次いで榎本が三人目だったというから、まさに伝説の打者だったのだ。
榎本は早実卒業後すぐ毎日に入団したが、そのさいテストを受けたグランドが弥生にある東大球場で、当時毎日はその近くにあった大きな一軒家を選手寮として借りていた縁から、東大球場がテスト場所として選ばれたという。榎本も一時期その寮に入っていたらしい。そういえば、東大球場の裏、根津神社からS字坂を上る途中にある相当年季の入ったマンションの屋上に、根津神社の方を向けて毎日新聞という四文字の文字看板が掲げられていて、それを見るたびあのマンションは毎日新聞配達員の寮なのだろうかと不思議に感じていたことを思い出した。毎日の寮は一軒家だったとあるから、このマンションが寮ではあるまいが、何か曰わくがありそうで興奮してしまった。こんなことで興奮するのはわたしぐらいだろう。
毎日オリオンズのなかで、早稲田出身の同僚のほか、榎本が仲良くしていたのが、四番を打っていた山内和弘だったという。二人は遠征先でも熱い打撃論を戦わせ、また一緒に練習もしていたが、そこから生まれたのが「ネットバッティング」、つまり現在もよく行なわれているネットに向かって打つ「ティーバッティング」のことであるという話には「へえ」と驚いた。
どんな世界の人物であれ、一流を極めた人間の評伝を読むことは、人間を知るという意味でとても刺激的であると、いまさらながら思わされたのであった。