9冊目と10冊目のあいだ

茶の木・去年今年

先日講談社文芸文庫の新刊として、木山捷平長春五馬路』*1が入った。『大陸の細道』と並ぶ木山の代表長篇と言っていいのだろう(カバー裏の紹介文には「中編」とあったが)。これで木山作品の文芸文庫入りはほぼ打ち止めということになるのだろうか。もとより『長春五馬路』は『ちくま日本文学全集 木山捷平*2で既読であったから、手放しで喜んだというほどのものでもない。
同文庫に入る木山作品はこれで10冊目に当たる。一人の作家で10冊も入っている人はそういないだろう。思えばわたしは、前の9冊目にあたる『鳴るは風鈴―木山捷平ユーモア小説選』を読んで木山作品に惹かれたのであった(「旧読前読後」2001/8/14条)。同書の解説は坪内祐三さんであり、坪内さんがたしか講談社文芸文庫木山捷平ほど多くの作品が収められている作家はほかにいないと書いていたのではなかったか。
上記のように前の冊が出てから5年近くのブランクがある。この間わたしの木山捷平熱は一気に高まり、作品をかき集めた結果、いま書棚に同文庫の木山作品10冊が並んでいる(ただし場所は二つに別れているけれども)。ところが新刊のカバー袖裏を見ると、木山作品としては『井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまど』『鳴るは風鈴―木山捷平ユーモア小説選』の2冊しか書かれていない。ほかはみな品切れということなのだろうか。ちょっとひどい。
ところで、『長春五馬路』の講談社文芸文庫入りを知ったのと前後して、前々から欲しいなあと思っていた木山作品の文庫本を偶然古本屋で見つけ、しかも安かったから、これ幸いと飛びついて買ってしまった。旺文社文庫の短編集『茶の木・去年今年 他十編』である。買ったのは先日感想を書いた海野弘さんの『美術館感傷旅行』を買った店と同じ柏の太平書林で、品切れの旺文社文庫にして300円という値段は安すぎる。
長春五馬路』も文庫に入るということで、買ったばかりの『茶の木・去年今年 他十編』も読んでみようという気になった。とはいえここに収められている短篇のほとんどは再読となる。説明の便宜上、まず講談社文芸文庫の木山作品ラインナップをまとめる。

  1. 『大陸の細道』 ISBN:4061960938
  2. 氏神さま/春雨/耳学問ISBN:4061962760
  3. 『白兎/苦いお茶/無門庵』 ISBN:4061963120
  4. 井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまど』 ISBN:4061963333
  5. 木山捷平全詩集』 ISBN:4061963619
  6. 『おじいさんの綴方/河骨/立冬ISBN:4061963740
  7. 『下駄にふる雨/月桂樹/赤い靴下』 ISBN:4061963856
  8. 『角帯兵児帯/わが半生記』 ISBN:4061963937
  9. 『鳴るは風鈴―木山捷平ユーモア小説選』 ISBN:4061982745

次に、旺文社文庫版に収められた各短篇のタイトルと、それらが上記文芸文庫版の第何冊目に収録されているかを示す。数字は冊次である。

  • 「廻転窓」
  • 「苦いお茶」(3)
  • 「市外」(3)
  • 「豆と女房」(3)
  • 「川風」(9)
  • 「茶の木」(3)
  • 「弁当」
  • 「月桂樹」(7)
  • 「去年今年」(7)
  • 「釘」(4)
  • 軽石」(3)
  • 「点滴日記」(2)

文芸文庫版9冊すべて読んだというわけではなかったから、未読だったのは「点滴日記」に加え、既往文庫未収録の「廻転窓」「弁当」、計3作品であった。わたしが木山作品のなかでももっとも好きな「苦いお茶」は何度読んでも素晴らしいし、「去年今年」「軽石」「釘」などのとぼけたユーモアの味わいも絶品であった。
今回初読の3作のうちでは、「廻転窓」がなかなか面白い。

数年前、私は或る大学で仏文学を専攻しているA教授に尋ねたことがある。
「Aさん、ズロースというのは何語ですか。フランス語ではないのでしょうか」。しかしA教授は知らんと答えた。
こんな破天荒な出だしではじまる短篇、後日A教授から「年賀状よりもっと簡単な」中味の「ズロースは英、drawer」とだけある葉書をもらったという話から、どの作品でも楽しい奥さんとの会話に移り、昔話へと展開する。
「とぼけた味わい」とよく表現し、自分もこれを否定しないものの、実は木山捷平の短篇は綿密に組み立てられ、練り上げられたものではないかとひそかに考えている(いやこれは周知の評価なのかもしれないが)。先にあげた「苦いお茶」もそうなのだが、冒頭の人を喰ったような挿話が結末におよんで見事に結びついて無駄ではないことがわかるのである。
そしてこの「廻転窓」も、主人公「私」が冒頭で感じたズロースは何語かという疑問が、物語の筋のなかでただ無関係に浮き上がった挿話でないことは、読んでいくうち証明される。これから木山作品を読み返すときには、こういう視点を忘れないようにしなければならない。