想像したくない近未来

銀齢の果て

筒井康隆さんの最新長篇『銀齢の果て』*1(新潮社)を読み終えた。
といっても実際に読み終えたのは十日ほど前のことであるし、読み始めたのはインフルエンザの高熱がおさまる気配を見せ、本をようやく読める状態になった頃だったから、あれはいつ頃だろう。二月初旬だろうから、一ヶ月もかかっている。読むのに一ヶ月、感想を書くまでに十日。これほどまでに読書スピードと感想執筆のスピードが鈍ってしまって、はたしてもとどおりのペースに戻ることができるのか、まったく想像がつかない。
読むのに一ヶ月を要した『銀齢の果て』だが、これはつまらないからではない。山積する仕事の関係上読書時間がとれなかったことと、ようやく読む時間を確保でき、いざ読み始め、筒井さん一流の途切れなく場面をつなげる構成やグロテスクでスラップスティック満載の殺戮場面に惹き込まれはするのだが、なぜか一気に読もうという気力が続かないのだ。
福祉政策を充実させすぎたため、世の中に老人が増えすぎたことを憂慮した日本政府は、七十歳以上の老人たち自らに殺し合いをさせる法案を成立させた。それを管轄するのは、厚生労働省直属の「中央人口調節機構」、略してCJCK、殺し合いについては、このCJCKの役人の口を借りて、次のように説明されている。

ご承知のように、二年前から全国で実施されております老人相互処刑制度、つまり俗にシルバー・バトルと言われておりますこの殺しあいは、今回は日本全国九十カ所の地区、都内では三カ所で一斉に開始され、その一つがこのベルテ若葉台なのであります。ひひひひ。いや失礼。この制度は言うまでもなく、今や爆発的に増大した老人人口を調節し、ひとりが平均七人の老人を養わねばならぬという若者の負担を軽減し、それによって破綻寸前の国民年金制度を維持し、同時に、少子化を相対的解消に至らしめるものなのです。(21頁)
将来に向けての国民の年齢構成の偏りへの懸念、少子化という社会問題に対し、筒井流にブラックに味付けして想像力を広げたすえに書かれたのが本作品ということなのだろう。自らの作風を崩さず、現実社会の矛盾と見事に切り結んだかたちで表現を行なおうとした筒井さんの作家としての意気込みに恐れ入り、まだまだ筒井健在を感じ安堵した。
指定された地区に住む70歳以上の老人たちには、同じ立場の老人たちを殺す権利が与えられる。殺人罪には問われないわけだ。該当者以外の人間を殺したらもちろん罪に問われ、また地区外に逃亡すれば殺害される。期限内に複数つまり二人以上の該当者が生き残ってしまったら、CJCKによって皆殺しにされる。期限内に一人が生き残るまで戦い切らねばならないのだ。だから黙って身を潜めていたり、拱手傍観するという姿勢も許されない。自ら打ってでなければならなくなる。マスコミは殺しあいの様子をテレビ中継する。
シルバー・バトル目当てに銃や手榴弾の闇値が高騰し、老人宅に闇商人が売り込みに訪れる。バトルで死んだ老人に対しては保険金が下りないように定められたため、保険に入る老人が跡を絶ち、保険会社がつぶれるなど、いちいち描写が細かい。
筒井さんが本書のなかで書いたようなシルバー・バトルは、もちろん現実的に起こりえない事態ではあるけれど、ではそうでなければ、老人があふれた将来の日本はどういう社会になっているのだろう。とこんなことを他人事のように考える自分こそ、筒井さんが設定した近未来の日本において、70歳以上の当事者になっているかもしれないのだ。読みながらそんなことを考えていたら、老人たちの血みどろの戦いがあたかも自分の将来を暗示しているかのように思えて、読むスピードが鈍ったのであった。
筒井さんは主人公の一人の口を借りて、「あの、間の抜けた介護制度なんてものは、良識による悲劇の最たるものだったんじゃないのかな」と、介護制度の「充実」が老人増加を促進させたと鋭く突く。
まだ歩ける老人に車椅子を与えて、歩けないようにしてしまう。自分で炊事ができる老人に飯を作ってやって、自分で炊事ができないようにしてしまう。結局は何もできない老人の氾濫だ。一事が万事、ああいう良識こそがこのバトルの遠因ですよ。老後の金を貯め込んで使おうとしない老人から金を取らなければ景気は回復しない、だから一律に税金や利息を取ろうというのも良識だったんですかね。あははは(151頁)
老人だらけの近未来を生き抜く方策は、「何もできない老人」にならぬよう、自活のすべを身につけておくことか。病気が原因で「何もできない老人」にならぬよう、健康に留意して毎日を過ごすことか。でもそれで長生きしたとて、いま毎月給料から天引きされている年金が老後に還元される保証はない。シルバー・バトルに備えて、銃器を扱える訓練をしておくほかないか。
本書では久しぶりに筒井さんと山藤章二さんが組んでいる。おびただしい登場人物(41人)一人一人の肖像が挿絵として掲載されている。誰もが卑屈な顔つきをして、ふてぶてしくずるそうで、そうでなければ今にも死にそうな元気のない風体をしている。凛として溌剌とした老人がいない。若者の人生の師たるべき優しそうな老人がいない。自分が老年に達したとき、まわりがこんな人ばかりだったら厭だなあ。