ロッパの不満

「素晴らしき求婚」(1950年、東宝
監督小田基義/原作佐々木邦古川緑波月丘夢路杉葉子/伊沢一郎/伊豆肇/中北千枝子河津清三郎渡辺篤沢村貞子

上で気乗りしない様子で撮影に入った「アパートの哲学者」という映画、実はそれがこの「素晴らしき求婚」なのである。7日に放映され、録画しておいた。ロッパ日記のなかにこの映画について何か書いていないかと探したところ、ちょうど51年前の今頃撮影していたことを知り、その経緯も面白く、それならばと仕事を脇にどけて映画を観ることにしたのである。
原作は佐々木邦の「アパートの哲学者」で、ロッパが脚本を目にしたのは2月8日(以下日付・引用はロッパ日記による。以下同じ)。「ラヂオでは面白かったのだが、これぢゃあお品ばかりよくて面白くない、僕の役も悪い」と、演じる役柄を書き直してもらうことにする。直って出てきたときには、タイトルが「戦後派娘アプレガールと哲学者」と変更された(昭和25年2月23日条)。ところがロッパはこれにも納得しない。「又まるで変った。月丘夢路の役をぐっと派手にして、僕の役がまことにたよりなくなってゐる。こんなものぢゃあ、やる気がしない」とおかんむりである。
3月に入り、5日にシナリオの修正版が届けられる。「おほ根がつまらないから、何う直しても、よくはならない。僕の役、稍々よくなってゐる位なもの。まあこゝらで妥協するよりあるまい」と愚痴をこぼすロッパ。
そして上記日記にあるように、9日にクランクイン。プレスコでロッパと月丘の歌が収録された。映画では冒頭近く、ロッパが管理人をつとめる独身者専用アパートに押しかけてきた月丘が、遊戯室(ビリヤード台やピアノがある)でピアノを弾いていたロッパと歌くらべをするシーンで歌が流れる。
月丘はそのアパートに住む友人の杉葉子の部屋に居候しようとやって来たのだが、杉は結婚するということで部屋を出てしまう。ロッパはすでにそのあとの間借り人である伊沢一郎を見つけてきており、杉の出ていった部屋を占拠する月丘と伊沢・ロッパのあいだでもめ事になる。
独身者用アパートと言っても、性別を限らない。独身男女がそれぞれ間借りし、間借り人の中北千枝子と伊豆肇は恋仲でもある。アパートには前述のように遊戯室があり、また共同の風呂がある。このお風呂はタイル張りのモダンなもので、銭湯のように男女別々の浴室があるのである。
恋に破れて以来独身を貫きとおしている管理人ロッパは、海外で哲学を学んできた学者だという設定。だから「アパートの哲学者」。結婚について一家言もっており、独身の間借り人たちの恋の悩みに対してあれこれとアドバイスをする。原作はたぶんこの「哲学者」の存在が前面に出ているのではあるまいか。
結果的にタイトルが「素晴らしき求婚」となったのは、ラストで月丘・伊沢が結ばれ、一時仲に亀裂が入った伊豆・中北のよりが戻り、独身の触れ込みで入居していた大学助教渡辺篤には妻(沢村貞子)がいたということで、三組の夫婦がアパートで暮しはじめるという流れになっているからだろう。結婚(求婚)というものが映画の主題になったのである。
いっぽう「アプレゲール」の月丘夢路。冒頭で、バスに乗る前吸っていたタバコをポイ捨てしようとしてロッパに注意されたり、アパート遊戯室のビリヤードで見事な技を披露して渡辺篤を唖然とさせるなど、「派手」である。宝塚スターらしく、歌も踊りもあり、レオタード姿でバレエを披露したりもする。若かりし月丘夢路、印象とは違い、すらりとスタイルがいい。映画の中での職業はレビューの花形踊り子なのである。
古川緑波は窶れている。むしろ戦後直後に撮られた「東京五人男」のロッパのほうが溌剌としていた印象。歌も台詞も、もう老けたおじいさんが演じているという感じなのだ。
ところで映画は、「アパートの哲学者」から「戦後派娘と哲学者」と変り、再び「アパートの哲学者」に戻る(3月1日)。新東宝から「アプレ親爺」という映画が出るからだとある。この当時「アプレ」が流行りだったのだな。ところがまたまた「アプレガールと哲学者」に戻って、3月31日にクランクアップとあいなった。
クランク・アップの日のロッパ日記にはこうある。

七時に起される。今日を以て「アプレガールと哲学者」(又々改題)クランク・アップの予定。八時すぎに迎への車来る。石川台近くの月丘夢路の家へ寄る。大した家だ、豪壮なる邸宅といっていゝ。これは何百万円だらう。金まうけの上手下手、しみじみ分る。月丘は中々出て来ない。伊豆肇が此の近くで、こゝで待ってゝ乗る。月丘漸く出て来る、手にパンを持って。それを車中で食ふのかと思ってると、手に持ったまゝ、居ねむりしてゐる。
この間歯の痛みなどもあって、つらい撮影だったらしい。あの映画のロッパの口元を見ていると、どうにも入れ歯のおじいさんが演じているような感じがしていたのだが、それは歯痛が原因だったのだろうか。
結局「素晴らしき求婚」という、今から見ればつまらない題名に変えられ、封切られたあと、ロッパがそれをどう感じたのか、日記には書かれていない。「アプレガールと哲学者」というタイトルのほうがずっと面白いと思うのだが。