ウイークデイの美術館

だいぶ暖かくなってきた春の一日。ウイークデイの昼休み、弥生美術館に行く。毎日通勤退勤時この美術館の目の前を通り、「早く行かねば」と心に期しつづけていた展覧会だった。場所柄週末にはかえって行きづらい。そこで昼休みを選んだ。
春三月のウイークデイという時間帯ゆえなのか、弥生美術館という場ゆえなのか、岩田専太郎展ゆえなのか、お年を召した方、とくにご婦人方の集団が多い。これほど弥生美術館が混んでいるとは。
さてわたしにとって岩田専太郎とは、やはり乱歩作品の挿絵画家というイメージが強い。乱歩作品の挿絵画家と言えば、モダン新青年の表紙を描いた松野一夫、おどろおどろしい雰囲気の竹中英太郎がいる。むしろそちらのイメージのほうが強烈で、岩田専太郎と乱歩と結びついたとしても、はてどの作品だったまでは憶えていないのだった。
展示された乱歩作品を見たところ、「妖虫」や「吸血鬼」がそうだった。初出の挿絵を全て復刻した創元推理文庫版『妖虫』を持っていたはずだが、帰宅後探してみても見あたらない。うーむ、処分したのだったか。
「妖虫」もそうだし、三上於菟吉作品や川口松太郎作品もそうなのだが、挿絵だけでなく、タイトルデザインもきわめてモダンで秀逸なものが多く、深いため息をついた。タイトルを忘れてしまったが、海野十三作品のタイトルデザインが良かった。その他三島の『音楽』や『幸福号出帆』も岩田とのコンビであることを知る。
最近自分のなかでの岩田専太郎と言えば、夕刊フジ連載エッセイの挿絵画家としての印象がある。ごく初期の頃、柴田錬三郎「どうでもいい事ばかり」の挿絵が岩田専太郎なのだ。ところがこれがいま読めない。というか、そもそも本になったのかすら判然としない。展示室に、岩田の新聞挿絵一覧表のパネルがあり、見てみるとこの「どうでもいい事ばかり」の挿絵が新聞挿絵の最後の仕事であり、亡くなる数ヶ月前という最晩年の仕事であったことがわかる。
岩田専太郎の挿絵ごと、シバレンの『完本 どうでもいい事ばかり』をどこかの出版社が企画してくれないものか。埋もれたままにするなんて、もったいなさすぎる。