タイちゃんに拘りつづけた映画監督

三文役者の死

積ん読の山の上にある本を何かの拍子にどけたとき、たまたま一番上にあって目に入ったのが、新藤兼人監督の『三文役者の死―正伝 殿山泰司*1岩波現代文庫)だった。この間買っておいた本だったが、ちょうど殿山さんの自伝『三文役者あなあきい伝』(ちくま文庫、→2/12条)を読んだばかりで、その強烈な個性が印象に残り、ますます注目の役者だと感じていた矢先だったから、その印象が消えないうちに読んでおこうと思い立った。
新藤監督は自作品のほとんどにバイプレーヤー殿山泰司を起用した。人間・役者殿山泰司にとって最大の理解者だったと言っていいのだろう。「正伝」と名付けたこの評伝は、前記殿山さんの自伝を縦糸に、監督―役者という関係(映画監督の目から見た役者という視座)を横糸に織り上げられたタピストリの様相を呈している。もちろん客観性がありつつも対象への暖かいまなざしを放棄しているわけではない。
自伝を読むだけではピンと来なかった女性関係、というか、夫婦関係が、第三者の目を通したことで初めて呑み込めた。後に「鎌倉の人」と呼ばれる女性は、戦中戦後の苦しい時期、担ぎ屋などをしながら殿山さんを支えてきた人なのだが、実は入籍しておらず、正式な夫婦ではなかった。
タイちゃん(ここでは殿山さんでなく、新藤さんの呼び方を借りることにする)が京都で20歳くらい若い女性と恋に落ち、結婚の約束を交わしたことを知るや、自ら身を引くのでなく、逆に打って出る。京都の女性との関係を黙認するいっぽう、タイちゃんとの婚姻届を出し、養女まで籍に入れてしまうのである。赤坂のアパートで京都の女性と暮らすかたわら、ときどき鎌倉にふらりと出かけて「妻」と話を交わすタイちゃん。優柔不断で、頼まれれば断ることができない優しい性分のタイちゃんの性格が女性関係にもあらわれる。この二人の女性は、タイちゃんの葬儀に並んで参列し、遺骨を等分に分け、それぞれが建てたお墓に葬ったという。
京都の女性との関係を打ち明けられたときの二人の対話が絶妙におかしい。

あき子(鎌倉の人―引用者注)は、タイちゃんの顔を穴があくほどじっと見つめ、結婚もしてないのに離婚したいとはどういうリクツですか。それはまあお互いに自由にやね。自由て何の自由です。それはその、お互いにやりたいようにやな。あんたいつから京都弁になったの。京都に仕事が多いからついつい。江戸ッ子でしょう、東京のどまん中のお多幸の。すみません。戦争中わたしが何をしたか分かってるの。はい、はい。帰ってくるかどうか分からないあなたを待って雨と降るバクダンの中を逃げまわっていたのよ。はい、すみません。戦後は二人でかつぎ屋をやりましたな。はい、そのことはもう。いろんなことを胸に手をあててよく考えてください。はい申しわけありません。お望みなら離婚してあげましょう。えッ、ほんとですか。そのためには結婚しなきゃいけないから、この際入籍しましょう。……。不服ですか。……。早速籍を入れて正式の妻になります。(87頁)
殿山さんは銀座のおでん屋お多幸の子供、泰明小学校出の江戸っ子というイメージでいたのだが、実は神戸生まれで父親は瀬戸内海に浮かぶ生口島出身だったという事実には驚いた。だからというわけではないが、著書のなかで駆使される京都弁や広島弁に妙なリアリティがあったのはそのせいなのか(いや、こじつけか)。
新藤さんは監督として役者殿山泰司の特質を分析し、五つの点を指摘する。口を開けてもすぐ声が出てこず、声が遅れて出てくるという独特な発声のクセ、姿勢がいい小股の歩き方、頭がハゲていること、悪人になれないこと、金持ちになれないこと。
その特質を踏まえ、新藤さんが殿山さんに振り当てた役柄は、「友禅の下絵職人、桂庵、ポンポン船の船長、競輪にうつつをぬかす労働者、貧しい保険外交員、島の農民、東北の出稼ぎ人、門付遊芸人、浮世絵の版彫職人」であり、「町工場のおっさん、ヤキトリ屋のおやじ、なまぐさ坊主、いんちき祈祷師、呉服屋の番頭、機織職人、大工、左官、一膳めし屋」といった「市井の名もなき庶民」が一番似合うのだと力説する。
たしかにそうなのだろうなあと納得しつつ、だとすればこの間観た小林旭主演の日活映画「でかんしょ風来坊」は殿山泰司のフィルモグラフィのうえで特異な位置を占めるのかもと、ハードディスクから消去してしまったことを悔やんだ。あの映画で殿山さんは何と元総理大臣、回想シーンでは、帝大生として学ランを着るという冒険的な役柄をこなしている。
むろん回想シーンはお遊びというレベルなのだろうが、それにしてもあのシリーズで一貫して登場する元総理の役は、他の作品すべて別の俳優(小川虎之助)が演じているというのに、あの作品だけ唐突に殿山さんが配されたというのは、共演の北林谷栄とのバランスを考えてということなのだろうか。
本書を読みながら、こんなふうに映画でのタイちゃんの姿をあれこれと思い浮かべたのであった。