年譜を読む

決定版三島由紀夫全集42

『決定版三島由紀夫全集』(新潮社)を久しぶりに買った。第42巻*1である。年譜に加え、作品目録ほか各種目録を収めた「三島由紀夫事典」となっている。前の巻第41巻(音声編)を買った(そして楽しんだ)のが去年春頃だから(→2005/4/20条)、だいぶ間があいてしまった(第42巻の刊行は昨年8月)。
このあと補巻まで出ていることは知っていたが、それに加え、「別巻」として三島本人が監督・主演した映画「憂国」のDVDが出される(刊行は今春予定)ことは迂闊にもはじめて知った。本巻所収「映画化作品目録」によればこの映画は28分と短いものだ。どうせDVDの巻を出すのなら、三島が出演した映画も一緒に付けてくれればいいのに、と思う。たとえば「からつ風野郎」や「人斬り」など。贅沢を言えば、「黒蜥蜴」や先日観た「不道徳教育講座」もあったら理想的。
さて、本巻収録の年譜はなかなか読みごたえがある。かなり前に荒正人編『漱石研究年表』を目にして感動したものだった。何月何日という一日単位で年譜が作成される作家は、そうざらにいない。その意味では、書友ふじたさん(id:foujita)が制作されている戸板康二さんの年譜もこれに比肩する。こうした年譜を編む人の労を思い、敬意を抱かずにはおれない。
本巻の三島年譜もまた日単位で記述された詳細なもので、思わず読みふけってしまったのである。いま戸板年譜に触れたが、ふじたさんの日記にも触れられている戸板・三島の初対面となる昭和21年9月14日には、次のようにある。

9月14日(土) 10時から11時、神田祭に行く。11時から夜7時まで、昼は一人で、夜は母・倭文重、弟千之と東京劇場で歌舞伎を見る。「鳴神」「春日竜神」「十六夜清心」「かごや」「土蛛」「京人形(銘作左小刀)」「三社祭」「加賀鳶(お茶の水から加州侯門前まで)」。旗一兵戸板康二を紹介される。(120頁)
三島は当時東大法学部在学中で、この時期頻繁に歌舞伎を観劇している。歌舞伎熱の高まりを支えていたのが、戸板康二の存在だったに違いない。ふじたさんが編んだ戸板年譜は、戸板さん側からの視点でエピソードを交えた豊かな内容で、三島年譜にこれを併せ読むと楽しみが倍増する。昭和22年から26年にかけても、三島年譜には戸板康二の名前が散見される。昭和22年以降は戸板年譜に記載がないので、新しく追加すべき事項となるだろう*2
戸板さんから離れて、三島年譜に目を凝らそう。昭和22年9月1日には朝6時に起床して7時から9時までプレイガイドに並び、文楽座のチケットを買うなどという些末な記事をチェック。この数日後大学の卒業試験が始まっている。その試験勉強の合間をぬってのことだった。
この年の12月、高等文官試験(国家公務員一種試験)に合格した三島は大蔵省に入省する。年譜には入省して間もない頃に書かされた大蔵大臣の演説原稿(新人に原稿を書かせるなんて驚き)にまつわるエピソードが紹介されている。当時の大臣は愛知揆一だったが、「……笠置シヅ子さんの華やかなアトラクションの前に、私のようなハゲ頭が演説をしてまことに艶消しでありますが……」という草案を書いたら、課長からバッサリ削られ、その後この話は省内で語りぐさになったという。何とも大胆不敵で痛快な挿話だ。
このところ映画に入れ込んでいるわたしとしては、その関係の記事にも惹かれるものが多かった。昭和36年2月25日頃条には、東宝との間で「宴のあと」映画化の契約が結ばれ、監督成瀬巳喜男、出演山本富士子森雅之の候補があがっていたが、実現しなかったとある。成瀬監督の三島映画、観たかった。
文学座座員でもあった三島の映像化作品には、座員の出演も多かった。テレビだが、昭和36年12月1日条にはTBSで「鹿鳴館」がドラマ化され(1時間2回)、佐分利信杉村春子長岡輝子が出演したとある。昭和39年8月17日条には、東京12チャンネルで「美しい星」がドラマ化され(30分5回)、宮口精二南美江が出演したとある。個人的には「美しい星」を観てみたいなあ。自決した昭和45年には、先ごろ行定勲監督による映画化で話題になった「春の雪」がフジテレビでドラマ化され、吉永小百合市川海老蔵(現団十郎)・乙羽信子が出演している(2月27日条)。
年譜には事実だけ記した無味乾燥なものもあれば、かくのごとくエピソードも織り交ぜた読み物として興趣が尽きないものもある。本人が書いた「自筆年譜」に面白いものが多いのは言うまでもないことであるが、そうした自筆年譜をもとに、第三者が編んだ面白い年譜に最近出会った。篠田一士『三田の詩人たち』*3講談社文芸文庫)巻末に収められた篠田さんの年譜だ(土岐恒二氏編)。本の感想は後日書くとして、今日は年譜にだけ触れたい。
自筆年譜をもとにしているから、幼少期の挿話や、学業の履歴、仕事の回想(著書の刊行経緯)など、対象者の身に即した記事が豊富なうえに、外側からの視点で書かれた挿話にも面白い内容が多く、本編を読み終えてなおそのまま最終ページまで読み通させる魅力がそなわっていた(池内紀さんによる解説「大読書人の読書術」も含め)。このなかで好きな記事は次のものだ。
このころ、名古屋大学の川村二郎氏と書き物を通じて知り合い、三年後に川村氏が都立大学に赴任してからは、巨漢の篠田氏と小柄な川村氏が並んで歩く姿が頻繁に見られ、人も羨む文学的交友を築いていった。(1957年の項)
四月、都立大学人文科学研究科英文学専攻の兼担となり、大学院生の教育に情熱を傾ける。授業以外でも、院生の研究発表会に顔を出して厳しい質問を発したり、ときには院生そっちのけで同僚の小池滋氏と英国小説論を戦わせることもあった。(1961年の項)
年譜とはすべからくこのようなものでなければならない。

*1:ISBN:4106425823

*2:すでに調査済みであればご容赦ください。

*3:ISBN:4061984292