色川イヤーの予感

あちゃらかぱいッ

このあいだ読んだ殿山泰司『三文役者あなあきい伝』(ちくま文庫)の感想にも書いたが、本には読むべきタイミングというものがある。資料的なものは別にして、その本にもっとも関心を集中しているのは当然ながら購入時であるから、そのときが最大の好機であって、これを逃すとしばらく積ん読の憂き目にあう。
そうした運命になった本がふたたび浮上する機会(読むということ)を見つけるのはなかなか難しい。などと他人事のように書いているけれど、これは買った本人がいけない。
積ん読の山の底に沈んでしまい、なかなか浮上の機会がない本は救いようがないが、わたしの場合、廊下に置いている文庫専用棚には、特定の人の文庫著作を別に並べており、「積ん読」でも質が多少異なる。乱歩、深沢七郎坂口安吾紀田順一郎山田風太郎色川武大武田泰淳といった面々である。
とりわけ色川武大さんの本はときどき棚から取り出し、めくったりする。角川文庫版・文春文庫版両方がある『怪しい来客簿』など、取り出しては、その都度再読したいと思いつつ、結局そのまま戻してしまったことが何度あったか。
そんなたぐいの一冊に、『あちゃらかぱいッ』*1(文春文庫)があった。それほど有名でない浅草芸人を取り上げたとおぼしい小説、いかにも色川さんらしい目の向け方で、時々棚から取り出しては、読みたいと思いつつ、果たせないでいた。
そのうちこれが河出文庫で再刊され*2、あろうことか買ってしまったのである。買ったときが読む好機とばかり、結局河出文庫版で本書を読むこととあいなった。まあ、これもよくある話と言えば言えるか。
本書はエノケン・ロッパ全盛の戦前期軽演劇界で、下のほうを漂っていた、いまでは名前もあまり語られることの少ない芸人たちにスポットライトをあてて書いた小説である。小学生の頃から浅草に通って彼らの芸を見続けた色川さんならではの視点で、浮き沈みが激しく、頽廃的な生活を送っていた芸人らが愛惜を込めて活写される。実録風でありながら、ときどきひょいと芸人らの会話が入って彼らの世界に入り込む。融通無碍な叙述だ。
底辺に生きる芸人たちの生き方を描く色川さんのなかには、こんな考え方があった。

今、私が本業じみてやっている小説にしてからが、特に勉励努力したわけでもなく、力士でいえば蹴手繰りなど使ってその日をしのぐ出たとこまかせのタイプである。そのくせ、他人の芸を眺めて自己流の評価をする。本来ならば無言がお似合いの男で、事実、内心一目おく人の前に出ると私は沈黙しがちになる。けれどもその私が唯一、よりどころにしているのは、自分は小さい頃からグレていたんだ、という矜持である。他人が学校に行って勉強しているとき、俺は各種の個人芸を専門に見、遊びの裏表を見て育った。大きな能力を隅々まで理解することは或いはできないかもしれないが、贋物にまどわされないだけの年期は入っている。(67頁)
遠慮めいたはにかみと表裏一体でくっついた強烈な自負がうかがえる凄みのある文章で、この文章を前にしては、わたしなど何も口出しできなくなる。
「内心一目おく人の前に出ると…」というくだりで触れておきたいのは、本書巻末の井上ひさしさんによる「解説にかえて」だ(たしか文春文庫版にも収められていたはず)。浅草の軽演劇に何らかのかたちでかかわってきた井上ひさし色川武大という二人の巨大な「異能」が火花を散らしあうという迫力ある文章なのである。
ここで井上さんは「わたしは色川さんの書く浅草ものが気に入らない」といきなり強烈なパンチを放ち、度肝を抜かれる。これは、井上さんが幕の内側から克明に舞台を観察してきたという自負があり、「役者から聞いた受け話で成り立っている色川的浅草がどうも嘘っぽいものに見えた」からだという。
二人は様々な集まりで何度も顔を合わせながら、黙礼を交わすのみで、一度も言葉を交わしたことがないという。対談の話もあったが、立ち消えになったともある。井上さんだけでなく、色川さんもきっと井上的浅草に反撥を感じていたのではないか。いや、たぶん「内心一目おく人の前に出ると…」という気持ちになったゆえ、井上×色川対談は実現しなかったのだろう。
この解説で井上さんは、そんな反撥を振り捨て、色川さんと話しをしておくべきだったと悔やんでいる。この痛切な文章がまた、色川さんの文章に花を添えているのである。
シミキンこと清水金一を描いた併録の「浅草葬送譜」も面白く、なんでこれをもっと早く読んでおかなかったのかと自分を責めた。読んでいる途中、同じ文庫棚から新潮文庫の『なつかしい芸人たち』を取り出し、めくってみると、初読のおりにはあまり印象に残らなかった人物伝に興味を惹かれ、ついついそちらを読んでしまうということがあった。これは初読から今までの間に、彼らが出てくる映画などをよく観るようになったことも大きいに違いない。いずれ近いうちきっと再読することにしよう。
ああそう、河出文庫版『あちゃらかぱいッ』を買うことになったのは、矢野誠一さんによる暖かい追悼文兼ポルトレが収められた『酒場の藝人たち―林家正蔵の告白』*3(文春文庫、→1/25条)を読んだことも大きかった。色川さんの本を読もうか、そんな気分になっていたのである。
そして読み終えた直後、唯一文庫版で持っていなかった色川さんの短篇集『花のさかりは地下道で』(文春文庫)をようやく入手するという幸運にも恵まれた。今年は色川さんの本を多く読む年になるかもしれない。