第78 魂を坂に預けん花見まで

谷中三浦坂

東京に住んで電車通勤をして八年になろうとしているが、はじめて電車が途中停車の憂き目にあった。
朝いつもの電車に乗ったところ、次の駅に到着する直前で停止し、しばらくそのまま動かなかった。そのうち車内放送があって、何駅か先の駅で人身事故があり、地下鉄が止まっているという。次の駅にも電車が止まっているので、駅にすらたどりつくことができず、満員電車の人いきれのなか、しばらくの我慢を余儀なくされた。
十数分後、ようやく駅に到着して外の空気を吸うことができた。さてどうしようか。そこから30分も歩けば京成線に乗って上野まで行くことができる。上野に着けば職場は徒歩圏内だ。迷っているうち構内放送があり、次の北千住との間で区間運転になるという。北千住にいけばいろいろな路線が乗り入れているから、選択肢が増える。とりあえず北千住までそのまま電車に乗っていくことにした。
考えたすえ、北千住に着いたらJR常磐線快速に乗り換え、終点の上野から歩いて職場に行こうと決めたのだが、乗っている途中で気が変わった。どうせ遅れたのだから、途中の日暮里で下車し、久しぶりに谷中墓地を通って行こう、と。
よくよくふりかえってみると、このところ仕事に追いまくられ、読書や映画ばかりでなく、そぞろ歩くことからも遠ざかっている。朝は職場最寄駅からまっすく職場に入り、昼休みも机を離れず買い込んだパンか弁当で済ませ、夜になると途中どこにも立ち寄らずにまっすぐ帰宅して、夕食のあとまた机に道具を広げるという毎日だった。
人身事故による通勤電車のトラブルは、ちょっとは心に余裕をもって寄り道しなさいという神様のお告げなのかもしれない。そんな気がしたので、今日は日暮里で降りて谷中墓地経由の徒歩ルートで通勤したのである。
天気も爽快、徒歩日和。谷中墓地を通り、谷中の日本美術院前から三浦坂を下って、根津の異人坂を上り本郷に入るというルートは数えきれぬほど何度も通った道だが、最近まったくご無沙汰していた。何ヶ月ぶりだろう。
谷中墓地を通るときは、いつも同所に眠っている岩田豊雄獅子文六)・色川武大二人の墓所を詣でることにしている。今日も、霜柱で表土が盛り上がった地面をサクサクと踏みしめながら二人の墓前に手を合わせた。いまは二月、もう少し経つとここも桜のトンネルになる。そんなことすらも忘れかかっていたほどの忙しさだったが、ようやく正常な心を取り戻すことができたかのように、心がすっきりしたのだった。
時間がもったいないという気持ちで何の寄り道も無駄足もできずにいたのだけれど、このようなそぞろ歩きはそんな追いつめられたときほど有効で必要であることを痛感した。久しぶりに下った三浦坂の景色に懐かしさすらおぼえた。たかだか五、六年しか経験がないくせに懐かしさを感じるとはおこがましいが、懐かしさを感じたことがわけもなく嬉しくなり、一句ひねりたくなってしまう。
ぜひとも花見時にまたこの三浦坂を歩もうという気持ちで詠んだのが標題の駄句である。