道玄坂の女性今昔

東京百話地の巻

結局横手でゆっくりできたのは、入った初日の夜だけだった。二日目の会議での宿題を三日目の会議に提出せねばならず、二泊目の夜はパソコンで文章を書くどころか、読書すらままならなかった。
横手では少し時間がとれるかと思い、その時間で感想を書こうとして、『三重露出』より前に読み終えていた本をリュックに忍ばせてきたものの、結局書くことが叶わず、なお入れっぱなしになってしまっていた。
その本とは、種村季弘『東京百話 地の巻』*1ちくま文庫)である。すでに「天の巻」は一昨年の秋に読んでおり(、→2004/9/30条)、言うまでもなく内容充実、多種多様な文章を含むアンソロジーだから、年末年始の帰省のさい読むには恰好の本だと選んだのである。
帰省直前に電車本として読み始め、そのまま山形に持ち込んだゆえ、「家読み本」の立場だった『三重露出』以上に実家では読めず、結局東京に戻ってきてから読み終えていた。内容を忘れてしまう前に早く感想を書かねばならない。
第一印象として、今回の「地の巻」は「天の巻」ほど興趣をそそられなかった。巻名よろしく、散歩エッセイやら、銀座・上野・浅草・新宿や郊外、川や橋、坂にまつわるような、東京という都市に根づいた文章ばかりだったにもかかわらず、だ。
収録文中面白いと思ったのは、まず、堺利彦の「銀座は汚ない処」。社会主義者らしく(?)、近代風俗の最先端を行く銀座の町に散々毒づいている。タイトルからして逆説的だが、その毒づきかたがひねくれていて面白い。市電の架空線など、蜘蛛の巣の美しさなどに比較するまでもないと一蹴する。
池田弥三郎の「東京の坂」。「むかしの東京は坂が多かった」という書き出しをあやうくそのまま鵜呑みにして通り過ぎるところだった。坂の勾配の変化ならまだしも、坂の多寡にさほどの変化があるわけがないからだ。読み進むうち、池田の真意が明らかにされる。

全く東京には坂が多かった。今も昔も、坂の数には変わりはないはずだが、今は、自動車でつっ走り、あるいは、地下鉄で下にもぐってしまっているから、坂の上りを、あえぎあえぎ上ることの少なくなったわれわれには、東京における坂の存在が身に沁みなくなってしまった。(213頁)
意外にと言うのも変だが、それぞれ複数篇収められている三島由紀夫坂口安吾の文章が頭にスッと入ってくる。三島による渋谷のある一夜のスケッチ「渋谷」は端正な文章の見本とも言うべき強靱な文体だし、自分の贋者が飲み屋で豪遊しているという噂を聞きつけ、その店に勇躍忍び込んだ安吾のルポ「西荻随筆」のユーモアも捨てがたい。かつて川崎の影向寺で行なわれていたという「嫁市」(今の集団見合いのようなもの)の活況を懐かしく振り返った野尻抱影の「ぼろ市・嫁市」の詩情も素晴らしい。
帰るつもりで外へ出ると、そこに目をそばだたせる光景が現出していた。どこから降って湧いたのか、一人のモダン・ガールが衆目を集めて、女王然と練り歩いていたのである。耳隠しに大きなピンを植え、下まぶたにもくまを入れて、身はばの狭い、安物の錦紗か何かで胸やおしりを盛り上らせた娘である。惟うに、三里向うの道玄坂から久しぶりで村に帰って来た女給ででもあろう。(429頁)
この抱影の目撃譚は関東大震災直後のものらしいが、してみると、耳に「ピンを植え」、下まぶたに「くま」を入れた化粧をほどこし、ボディコン(これすら古いか)の衣装で身体を目立たせた女性は大正末年から存在したらしい。