書籍部で買えなかった本

紙つぶて 自作自注最終版

大学生協の組合員になっているので、書籍が一割引で購入できるのはありがたい。大学生協書籍部に依存しがちになるのは仕方ないことである。専門書を除き、一般的な文芸書などの品揃えは町の大書店に劣るうえ、新刊が並ぶスピードも鈍い。待ち望んでいた新刊書をなるべく早く手にしたい、書店の空気が好きという人間にとって、かくのごとく必ずしも適合的な場所ではないけれど、一割引という魅力の前には屈さざるをえない。
新刊ですでに出ているはずなのに書籍部になかなか入らず苛立つことが時々ある。わたしの買うような本は大学生協書籍部という「特殊な書店」にとって特殊な本なのか、年を追うごとにそうした体験が多くなってきているように感じる。一般書文芸書は町の書店で買え、というわけか。
どうしても一割引で買いたければ注文すればいいし、新刊なら注文してもそれほど待たずに入荷されるだろう。けれどもとにかく面倒くさいのだ。かくして「ええい、町の本屋で買ってしまえ」となるのである。
面倒くさいと言うのは、勤務先の書籍部の手続きのせいではない。文系理系を問わず書籍の注文が絶えない店だから、システムはむしろ合理的ですらある。要は気分の問題で、また、置かれている立場の問題でもあろうし、住んでいる場所の問題でもあるだろう。
いまでもできるかぎり一割引で買うようにしているが、学生の頃であればなおさら、経済的問題で書籍部を選ぶ場合が断然多かった。ところがいま住んでいる東京という都市には魅力的な書店が多い。本を買うという目的以外に、そこの空間に浸ることで気持ちが上向きになるという付加的な愉しみがある。
わたしの学んだ大学の書籍部には、「書籍サークル」という仕組みがあった*1。数人で「サークル」を組み、注文した本はそのサークルの棚に置かれ、所属している人間がおのおのサークルの棚(注文カウンターの中にあった)から自分の注文した本を自分で抜き取って書類にサインし、支払いは月毎にまとめるというものである。
当初(80年代末)は、書籍部からサークル宛に所属各人のひと月の購入額明細を記した請求書が届き、サークルのなかから選ばれた担当者が所属の人それぞれからひと月分の書籍代を徴収、一括してカウンターで支払うという流れだった。だからこそ共同購入のサークルなのだろう。しかしながら世の中の趨勢で、支払い方法は各自の銀行口座からの引き落としに切り換えられた。共同購入としてのサークルを組む必然性はなくなったのである。
しかし書籍部では、サークルとしての枠組みは残したままにしていた。サークルに所属している人間が注文した本は、サークルの棚に置かれるのである。
ちょうどわたしが属していたサークルの棚の場所は、書籍部の入り口からまっすぐ見通せる場所にあった。注文していたり定期購入していた本が入荷すると、ひと目でわかるので、わざわざ書籍部の中に入る必要がなかった。通りがかりにちょっと入り口のほうを見ればいい。注文した本が積まれてあるのを発見したときの高揚感は、いまでも忘れがたい。
なぜこのような昔話を縷々書いているか。このようなある意味牧歌的な書籍購入方法もあったことを記録しておきたいという気持ちもあるが、いまの合理化された書籍部ではもはやこうしたシステムは望むべくもなく、したがって書籍部に入らない本は注文せずに町に出て買ってしまうことが多くなったと言いたかったのだ。
ということで、書籍部はついぞ入れてくれず、仕方なしに神保町に出たついでに東京堂書店で購った本が2冊ある。谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』*2文藝春秋)と丸谷才一大岡信岡野弘彦『すばる歌仙』*3集英社)だった。いずれも発売されていたのは知りつつ、書籍部に入らぬものかとしばらく我慢して観察していたのだが、結局見かけなかったので、諦めたのだった。この2冊を書籍部で買えば、文庫本一冊おまけに買える程度の割引があるけれど、注文はもはや面倒だ。
すでに文春文庫版とPHP文庫版二種の「完本」を所持している『紙つぶて』だが、ここにきて「自作自注最終版」と銘打った浩瀚な(1000頁弱!)筒函入りの本となって再登場した。5000円もする高価な本だが、ボーナスが出た直後ということもあり、思い切って購った。
内容的にも、すでに「完本」を持っている人間にとって買う価値のある本となっている。「自作自注」が中途半端なものではないからだ。今回新たに付された「まえがき」によれば、600字の本文一篇一篇すべてに、500字ずつ、関連した新しいコラムを書き加えて成ったのが本書なのである。「自注」部分はポイントを落として組まれている。パラパラと拾い読みしただけで、本文に劣らぬ激烈な批評が展開されているのにドキドキし、買ってよかったと満足していったん本を閉じた。
同じく「まえがき」によれば、今回の「自作自注」は、連歌俳諧における「独吟」の気合いで書いたとある。もとの本文を発句と見立てるなら、今回の新稿は脇句なのである。

つまり第一の紙つぶての谺として響くよう、連歌俳諧における付合の気分を、コラムの照応として実現してみたかった。付きすぎても離れすぎてもいけない。人事万般にも謂うところの、付かず離れずの呼吸である。
そんな書評コラムの俳諧独吟と言うべき『紙つぶて 自作自注最終版』と一緒に購ったのが、おなじみ丸谷さんと大岡さんがメンバーとなって巻かれた歌仙の新刊だったとは、奇縁である。

*1:現在、勤務先の書籍部にも、同様の「サークル」システムはあるようだ。

*2:ISBN:4163677607

*3:ISBN:4087747816