渋谷の美術館・博物館めぐり

幻想のコレクション 芝川照吉

  • 「幻想のコレクション 芝川照吉」@渋谷区立松濤美術館

かなり歩くぞと脅しをかけてもついて行くと主張する長男を連れ、代々木上原から山手通り沿いを歩いて松濤へ。
秋に東京都現代美術館で開催された「東京府美術館の時代 1926-1970」展(→9/23条)同様、美術を美術作品として楽しむだけでなく、その外側にある「制度」から見るというユニークな企画だ。もっとも東京都現代美術館はともかく、今回の展示に取り上げられているパトロンを「制度」と見なせるかどうかは議論があるだろう。
この展覧会は、主として大正期、青木繁坂本繁二郎、浅井忠・石井柏亭岸田劉生木村荘八らを背後から支えた「近代洋画におけるパトロンのさきがけ」(図録序文)芝川照吉のコレクションを再現するという試みである。
芝川照吉とは、明治後半期から毛織物貿易で財をなした「芝川商会」の実業家で、洋画家の資金援助を行ない、また自ら1000点を超える厖大なコレクションを形成した人物で、金にあかせて美術品をかき集めるタイプではなく、画家らとの交友を楽しみながら、同じ目線で芸術に接していたという。
彼は関東大震災直前の大正12年(1923)7月に病没したが、震災では江戸橋の東京支店に保管してあった蒐集品の一部を焼失したものの、照吉没後子息が蒐集品の大半を芦屋に移管していたため、すんでのところで壊滅的な損害を免れた。ただ、1925年と1935年の二度にわたり蒐集品の売り立てが行なわれ、コレクションは完全に散逸する。現在存在が確認される旧蔵品は200点に過ぎないとされている。
今回の展覧会では、それら旧芝川コレクションから、青木繁岸田劉生石井柏亭らの絵画、富本憲吉や藤井達吉、バーナード・リーチの工芸品などが展示されている。とりわけ岸田劉生については自らコレクションを写真に撮りアルバムに貼り付けていたほど愛着があった模様で、写真に撮されている作品の現物が展示されている。東京国立美術館での特集展示を堪能した直後であるだけに、ここでもまとまった数の劉生作品を観ることができたのは幸運だった。
劉生の「代々木附近」や「道と電信柱」といった風景画がいいのは言うまでもないが、劉生作品以外で感動的なほど面白かったのは、木村荘八の画巻「芝川氏新宅記念絵巻」だった。かの薩摩治郎八邸の近隣にあった駿河台から巣鴨に転居した直後(大正9年)、木村が巣鴨駅から新邸に至る道順を、巣鴨の活動写真館や廃兵院*1とげぬき地蔵、「青き郵便局」や隣の赤い家などのランドマークを盛り込みながら描いたユニークな画巻で、都市風俗の画家木村荘八の面目躍如たる秀逸な作品だった。
その木村作品がコレクションにはもう少し含まれていたようだが、豊富な劉生作品にくらべ今回はこの絵巻一点しか展示されていなかったのは、反面で残念ではあった。

松濤美術館から松濤の高級住宅街を抜けて*2NHKに出、すぐ近くにあるたばこと塩の博物館に入る。
どういうわけか、わたしは戦後の臣籍降下で皇族から離脱した「梨本宮家」に関心があった。この好奇心は先日読んだ浅見雅男『闘う皇族―ある宮家の三代』*3角川選書、→11/27条)である程度満たされてはいた。梨本宮家の第三代守正王が、久邇宮家から養子に入って宮家を継いだこともあり(浅見さんの本の主人公久邇宮邦彦王実弟に当たる)、同書で言及されていたためだ。
梨本宮家に対する興味の中心はこの守正王である。陸軍軍人として元帥の地位まで昇るいっぽうで、戦後は皇族で唯一戦犯に指定されたという経歴や、丸顔でいかにも威厳ある仏頂面に立派なカイゼル髭をピンと立てた面立ちが強烈な印象として頭にこびりついていたのであった。
ではなぜたばこと塩の博物館で梨本宮家に関する展示が催されたか。展示タイトルにあるように、宮家は渋谷という土地に深い関わりがあったからである。渋谷駅から東に坂を上った場所の、現在東京都児童館があるあたりに梨本宮家邸があり、現在渋谷駅から線路沿い少し北にある「宮下公園」の「宮下」という地名は、この宮家邸の下という意味で名づけられたという。
いっぽう、守正王妃となり梨本宮家に入った伊都子妃は鍋島家第十二代直大の次女で、鍋島家は言うまでもなく松濤の地に邸宅を持ち、「松濤」の地名の由来となった茶園を同地に開いた侯爵家なのだった。つまり、「渋谷」という谷間を挟んで高台に相対していた鍋島家と梨本宮家が姻戚関係を結んでいたわけで、渋谷という地との縁はきわめて深いのである。
伊都子妃は詳細な日記を遺しており、これらの資料をもとに、鍋島家・旧梨本宮家に伝わる装束のたぐいや調度品、天皇からの下賜品などが展示されている。印象に残ったのは、「ボンボニエール」と呼ばれるミニアチュールの菓子入れだった。菊の御紋があしらわれ、神社の本殿や兜、さらには爆弾(!)などを精巧にかたどった真鍮製の小型容器のなかに、金平糖落雁が入っている。
長男はこの企画展よりも、いろんな種類の岩塩が並んでいたり、ボタンを押すと塩の製造過程が発光ダイオードで示されたりする仕掛けがあったり、パソコンで塩クイズをやることのできる常設展のほうがお気に入りのようだった。

*1:巣鴨に廃兵院があったことは初めて知った。

*2:途中入口にギャルソンが立っている豪邸があって、何かと思ったら「シェ松尾」だった。

*3:ISBN:4047033804