滝沢修伝説

名優・滝沢修と激動昭和

茺田研吾さんは『脇役本』*1(右文書院)のなかで、滝沢修について熱く語っている。
「大好きな俳優」「滝沢が出演している映画やテレビは、つとめて見るようにしている」というほどのファンである茺田さんは、滝沢が亡くなったとき、劇団民藝の稽古場で営まれた「お別れする会」に、会社を休んで駆けつけ、ひまわりを一輪捧げたという。しかも追悼のミニコミまで出された熱の入れよう。
以前茺田さんとお会いする機会があったさい、滝沢修を語るときのお姿の何と溌剌としていたことか。文章を読むとそのときのありさまがいまでも思い浮かぶ。

そのほとんどが脇役だったけれど、乞われるままに仕事を引き受け、大仰なセリフまわしを駆使しながら、いつも主役以上に目立っていた。そのクサさが脇役フェチにはたまらない。(49頁)
大ファンだからこその愛情のこもった評言である。
さてわたしも滝沢修の「クサさ」が嫌いではない。なぜ「嫌いではない」などという持って回った言い方をしたかといえば、滝沢出演の映画をそれほど観ていないからだ。調べてみると、「安城家の舞踏会」「青春怪談」「白い巨塔」と、片手で足りる程度にすぎない。どこに出ていたのだったかすっかり失念している「青春怪談」はともかく、「安城家の舞踏会」を観ていれば十分のような気がしないでもないが。
茺田さんの本でも触れられている、滝沢荘一『名優・滝沢修と激動昭和』*2新風舎文庫)は、長男による父の評伝である。著者は毎日新聞編集委員などを経て、国際政治論を講じる大学の先生であるという。去年本書は第53回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
読んでみると、いかにも元新聞記者らしく、時代背景にも気を配った丁寧な叙述で、戦前戦中の激動の時代のなかで、滝沢修という俳優がいかに時代とかかわってきたのかが強烈に印象づけられた。ただ説明が丁寧すぎるきらいがなくもない。
たとえば妻文子から思想犯として捕まり獄中にある修に宛てた書簡のなかで、宣戦の大詔には「戦争開始を告げる天皇のことば」、警戒管制には「敵機の来襲に備えて灯火が屋外に漏れないようにする」、召集には「軍隊への呼び出し」と括弧入りで説明がなされているのには、読書の流れを阻害されてしまった。
本書で面白かったのは、やはり名優滝沢修像を象徴的にあらわす芸談のたぐいだった。最初のほうで、滝沢の「伝説めいた逸話」のひとつとして紹介されている話に、海水パンツ一つで稽古をし、「どうだい。この心理の時は、筋肉がこう動く」と劇団員に説明したというものがある。これを読んだら、弟子たちを素っ裸にさせて稽古をつけたという六代目菊五郎芸談を思い出してしまった。
またたとえば、出獄後成城へと転居し、戦時中の極貧生活のなかで近在の百姓から畑仕事を教わったときの日記には、クワの使い方を詳細に記し、足の動きを図解までしたとある。心理、行動の両面から、あらゆる人間の行動を演技の素材として分析せずにはいられない勉強家滝沢修の面目躍如たる挿話だ。
積ん読の山からふと手にとってから、「読もう」と決意させるに至ったきっかけは、本書187頁に収められている盟友宇野重吉とのツーショット写真であることを申し添えておきたい。顔をくしゃくしゃにして笑顔の滝沢にもたれかかる宇野重吉の姿が印象的で、ああいいなあと清々しい気持ちになったのだった。