タイトルが気に入らぬ?

松本清張初文庫化作品集1 失踪

細谷正充編松本清張初文庫化作品集1 失踪』*1双葉文庫)を読み終えた。「初文庫化」という触れ込みで短篇集が編まれる作家は、いまどき松本清張くらいしかいないのではあるまいか。それだけ松本清張作品の大半は文庫で読むことができるということであろう。“断簡零墨趣味”人間としては、こう銘打たれると、ちょっと弱い。
さて本集には4篇の中短篇が収められている。「草」「失踪」「二冊の同じ本」「詩と電話」である。あくまで「初文庫化」に過ぎず、雑誌初出のまま単行本未収録の「幻の作品」というわけではない。これまで出された幾種類かの全集・選集で読むことが可能だから、バリバリの清張ファンにとってはとりたてて珍しいものではないはずである。
けれども、前述のように大半の作品を文庫で読むことができる清張作品だからこそ、わざわざ単行本(ハードカバー)で読もうという人はあまりいないと思われる。わたしもその一人だ。そうしたごく平凡な清張ファンにとっては、この文庫化はありがたい。
比較的長めの2篇「草」「失踪」は、編者細谷さんによる解説によれば、もともと『黒い画集』シリーズの一作として『週刊朝日』に連載されたものの、初刊単行本(三分冊)のさいまず「失踪」(1959年発表)が落とされ、さらに全一冊の決定版で「草」(1960年発表)も落とされたという。たしかに現在流布している新潮文庫版(1971年、未読)にもこの2篇は含まれていない。しかも「失踪」のほうは全集にも収録されていないという。
その後阿刀田高さんが編んだ『松本清張セレクション』(中央公論社)において、この2篇はそれぞれ『黒い画集』の巻に収められ、もとの鞘に収まったかっこうとなる。
興味深いのは、それぞれが単行本『黒い画集』から漏れた理由である。最初から作者に忌避された「失踪」は、前記解説によれば、執筆途中で同じ材料で他の作家がすでに書いていることを投書で知らされたため、当惑し、当初の意気込みが消沈してしまった作品だという。
この作品は、不動産売買に絡んで、売り主の女性が物件の引き渡しを終えた直後に失踪し、のち彼女は犯人に誘拐され殺害されたことがわかるという事件をテーマにしている。推理の素材となる細かなデータと、逮捕された人物による詳細な供述を並べ、物的証拠に乏しい事件における犯罪捜査の難しさを指摘した緻密な一篇だ。
論理的な本格ミステリ好きにはこたえられない小説だろうし、物的証拠のないまま無実の人間が犯罪者とみなされる恐怖を叙述し、結末にも余韻を持たせた面白い内容であるにもかかわらず、プライオリティの問題で作者から忌避されたのは不幸というほかない。
対する「草」は、松本清張にしては珍しく「読者への挑戦」のようなメッセージが織り込まれた謎解きミステリで、一人二役的な叙述トリックが使われた、トリッキイな中篇となっている。解説には単行本で省かれた理由として「おそらく作者の意に満たない部分があってのこと」としか推測されていないけれど、こうしたトリッキイな謎解きミステリ風味を嫌ったのかもしれない。
残る2篇、「二冊の同じ本」「詩と電話」については、文庫未収録の理由がわからないと言い、「作者も出版社も、つい見逃してしまったということだろうか」とされている。
このうち「二冊の同じ本」は、細谷さんが「短篇ミステリーのお手本ともいうべき秀作」と評価されているように、わたしもこれを傑作だと思う。清張らしいというか、すこぶるブッキッシュな内容で、いわゆる“古本ミステリ”の佳品である。
亡友から彼の書き込みのある『東洋史研究』という翻訳研究書を譲り受けて持っている男が主人公。ある日彼のもとに届けられた即売会の目録中に、これと同じ本を見つけ、しかもそれにも「書込有」の注記がある。興味を抱いた主人公はさっそく注文し、抽籤で運よく同書を落手する。
すると奇妙なことに、入手した本の書き込みは自分が持っている本の譲り主の手跡と全く同じであり、自分が持っている本のうち書き込みがない部分がそっくり入手本の該当箇所に書き込みされているのである。つまり「二冊の同じ本」が揃って、元の所有者の書き込みの全貌がわかるという仕組みになっている。そこで興味を持って調べるうちに、意外な事実がわかってきたのであった…。
さあ、こんな粗筋にちょっとでも関心が動いた方、いますぐ双葉文庫を買いに走りましょう。松本清張は所持本に丹念に書き込みをしてゆくタイプの人だったのだろうか。読みながらそんなことを考えた。
「詩と電話」は、スクープを連発する地方紙の新聞記者の背後事情が、ある日都会から赴任してきた大手紙の記者たる主人公によって暴露されるというもので、「失踪」にも共通するが、松本清張はある種の「力」を持った人間のふてぶてしさというか、憎々しい肖像を描くのが超一流で、読み手のわたしたちはつい感情移入して、読みながらその人間に対する嫌悪感を増幅させてゆく。
「失踪」も「詩と電話」も、読者に醸成されるそんな嫌悪感を逆手にとったうまい構成になっているが、「詩と電話」はいかんせん30頁という分量は短すぎたのではないか。話が唐突に収束してしまう。ちょうど倍くらいの「失踪」の分量があれば、もっとドロドロした清張的劣等感で読ませる作品になったかもと悔やまれる。
前記『松本清張セレクション』の編者あとがきを一冊にまとめた『松本清張あらかると』*2中央公論社)のなかで阿刀田さんは、松本清張は、タイトルのつけかたがうまい人であったが、時によっては思い込みが強く、少々飛躍的なタイトルをつけてしまうケースがないでもない」(121頁)と指摘し、見事な例として『点と線』、わかりにくい例として『ゼロの焦点』『Dの複合』をあげている。
その伝でいけば、文庫未収録の理由が不明な「二冊の同じ本」も「詩と電話」も、逆にタイトルに曲がなさすぎる。そのまま、なのである。文庫再録を厭ったのは、ひょっとしたらこのストレートで芸のないタイトルを恥じたゆえなのではないかと邪推したくなるが、穿ちすぎかもしれない。