これが噂のロード・ムービー

「有りがたうさん」(1936年、松竹)
監督清水宏/原作川端康成上原謙/石山隆嗣/仲英之助/桑野通子/築地まゆみ/二葉かほる/河村黎吉/忍節子

小林信彦さんが清水宏監督のロードムーヴィの秀作」(文春文庫『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』)とする映画。
そういえばこのあいだ読んだ高橋徹さんの『月の輪書林それから』*1晶文社、→10/30条)でもこの映画が登場していた。『石神井書林 日録』の出版記念会の二次会で、内藤誠監督が高橋さんにこの映画が今まで観た映画のベスト3としてあげ、高橋さんは会場だった神保町すずらん通りの浅野屋のはし袋にそれを走り書きしたのが、二日酔いの翌日見つかったという話。

内容を聞いたはずなのに、そのことはスッ飛び、その場の心地よさだけがよみがえってくる。「川端康成原作」「プロレタリア小説」「昭和十一年」「乗合自動車」……内藤監督のこまぎれのことばがチラチラ点滅するだけだ。「有りがたうさん」とは、一体、どんな映画だろう?(26-27頁)
伊豆の山間の集落を走る乗合自動車(バス)の運転手が主人公上原謙。バスは山肌を縫うようにくねくねと走る。道を歩いている人に後からクラクションを鳴らし、脇によけてもらったとき、通りすがりに「ありがとう」といつも声をかけることから、「ありがとうさん」というニックネームで沿線の人から呼ばれている。鶏にまで「ありがとう」とお礼を言う。この上原謙の「ありがとう」という台詞、たんに喋るのではなく、歌い上げるように語るので耳に残る。バスが走るときに流れる軽快なBGMも同じ。
映画はバスが走る伊豆山中(ときどき海も視界に入る)の風景と、バスに乗り合わせた人びとの織りなす会話、沿線の人びとと上原の交流など、途中途中でささやかなドラマを展開させながら、終点へ向かい、翌日折り返す。
内藤監督が高橋さんに語った「プロレタリア小説」というのは、途中で上原のバスを追いかけ、彼に父の墓の供養を頼んだ朝鮮人若い女性のエピソードに関係するのだろう。やっとここの道路造りが終わったと思ったら、明日から信州で道路造りをやらねばならない。父の墓に花と水を供えることができなくなったので、上原に後事を託したのである。
せめて日本の着物を着たかったという台詞と、チョゴリ風のいでたちから、朝鮮人労働者なのかとぼんやり思っていたら、はたしてそうだった。小林信彦さんはこのシーンに対して「胸をつかれる」と書く。
トンネルの手前でバスを止め、ひと休みしているとき、上原はじめ乗客たちは路上の石ころを拾い、崖下に向かって何度も何度も投げて休み時間を過ごす。手持ちぶさたで状況が許せばそういうことをしないでもないが、それにしても不思議な光景だった。
始発からバスに乗り、上原のすぐ後の座席にすわってストーリーを動かす重要人物としているのが、桑野通子。丸顔ですらりとした細眉、ため息のでるような美貌だ。そこから伝法な台詞が出てくる。台詞といえば、この映画の台詞はみんな棒読みに近く、サイレントとトーキーのはざまという印象を強くした。
帰宅後調べてみると、トーキー第一作の「マダムと女房」は1931年だから、もう5年も経っている。この時期全般にそうした傾向があるのか、この映画に限っての演出なのか、わからない。
ちなみに双葉十三郎さんの『日本映画 ぼくの300本』*2(文春新書)では☆☆☆★★、「ダンゼン優秀」ではないが「見ておいていい」という評価。個人的にも、観終えたあとのカタルシスを期待していたがそれほどでもなかったし、途中迂闊にもウトウトした場面があったほどなので、すこぶる絶品と興奮する作品ではなかったように思う。
双葉さんはこのように評価している。
ちょっと皮肉な人生模様が、長屋や都会生活ではなく、自然のなかで展開されるという手法が斬新で、のびのびしたムードに人情味が溶け込み、いかにも清水宏の世界が広がっていた。(23頁)
なるほどそのように鑑賞すればいいのか。