個人的記憶と場所の関係

此処彼処

秋晴れの昼休み、家から持参した弁当と文庫本を携え、職場近くの小公園でゆっくりと食事する。「から橋」を渡り小公園に入ると、スーツを着た青年の先客があった。ここには食事に適した備え付けのテーブルと椅子が二セットあるので、もういっぽうのテーブルにつき、弁当を広げる。
先客の青年も同じようにお昼の弁当を食べており、食べ終わると携帯電話で丁寧な言葉づかいで何か話している。小耳に挟んだ言葉のはしばしから推測すると、どこかの営業マンらしい。出先でお昼を食べていたのだ。
その直後、同じ人物の口から、今度はかなりくだけた話し声が聞こえてくる。取引先との電話が終わり、次に友人か同僚に電話をかけているらしい。さっきの慇懃丁寧な口調からがらりと変わった話しぶりに、一人の人間の裏表を見た気がした。別に悪い意味での裏表ではなく、誰しもこんな程度の使い分けは日ごろごく当たり前に行なっているわけだが、その裏側をのぞくことができたことが、ささやかな事件にでくわしたかのように新鮮だった。
ちょうど家で読んでいた川上弘美さんの新刊エッセイ集『此処彼処』*1日本経済新聞社)に、わたしが出会ったのと似たような体験が書かれてあったのである。それは「大手町」という一篇で、大手町の地下道を歩いていた川上さんが、取引相手同士とおぼしい会社員の二人連れの会話を小耳に挟み、一人が改札口のなかに消えたあと、残った一人が携帯電話を取り出しくだけた会話を始めたという目撃談である。

ワタクシから一転「おれ」へ。これがなかなか、色っぽいものだった。背広がほどよくくたびれていたのもよかったし。携帯をぱちんと閉じ急ぎ足で階段を上ってゆく後ろ姿に、見とれてしまった。(179頁)
会社員の変貌に「色っぽい」と応じるあたり、川上さんらしいなあと思う。
この『此処彼処』は、それぞれのエッセイの表題がすべて地名になっている。冒頭の「此処」や末尾の「彼処」、あるいは「二丁目」のように曖昧な場所を指すものもあるが、たいていは特定される固有名詞が目次に並ぶ。表題にある土地、場所にかかわる思い出、体験などをつづったエッセイ集なのである。
本書には、子供の頃両親とアメリカ西海岸で暮らしたときの記憶とか、学生時代に付き合っていた男の子との思い出とか、教員時代に親しい同僚と飲み歩いたときの話など、けっこう川上さんの人となりを思わせるような生々しい話が多く、これまでのエッセイ集とは別種の面白さがあった。従来のエッセイにこうした話がまったくないわけではなかったけれど、二人の男の子の(上が高校生、下が中学生)お母さんだとか、旧姓が山田であるなど、あまり触れられていなかったのではあるまいか。
つまり川上さんにとって、ある特定の場所を語るということは、その場所にまつわる個人的な経験を書くことと分かちがたく結びついているということなのだろう。まったく個人的体験抜きにある場所のことを語ることは難しいだろうが、客観化して語ることだって可能なはずだ。川上さんの場合、そういう方法をとらない。
そのあたりの事情については、「あとがき」のなかで川上さん自身告白している。これまで書いてきた作品のなかでは、場所についての言及をできるだけ避けていた。「固定されてしまうことが、怖かった」(「あとがき」)からだという。
固有名詞を多用すると、そのようにして現れたいくつもの輪郭のはっきりとしたイメージが、自分の書いた文章に、知らないうちにどんどんぶらさがっていって、なにやら、文章自体が重みをもつようになってしまうような気がしてならなかったのだ。(同上)
居酒屋でお酒を呑んだりする場面が妙にリアリティにあふれているわりには、文章が重くなく、まるで翌朝に残らない上等なお酒のように軽いのは、そういうわけだったのか。
一年間、さまざまな場所について、書いた。具体的な場所の名を示す、ということは、つまり、私個人のことをはっきりと書くことなのだということを、この仕事によって教わった。そしてまた、私個人のことを書いたつもりでも、結局何も書けていないのだ、ということも。(同上)
具体的な場所について書いたことが、自分自身のことをはっきり書くことにつながる。「結局何も書けていない」という反省の言葉をどう理解するかは人それぞれだろうが、少なくともこれまでの小説・エッセイとはまた違った世界がこの本につまっているということだけは言える。
もちろん川上作品に特有の意表をついたオノマトペも健在だし、妙に食べたくなるような食べ物・料理の描写もたくさんある(たとえば146頁にある「なすのお味噌のあれ」や、「二丁目」で触れられている「豆コード」論)。年齢性別をこえて、川上弘美的衣食住の世界に憧れを持つのであった。