東京で寺山修司を読む

虚人 寺山修司伝

今年は寺山修司生誕70年にあたる。来月の『東京人』誌では寺山修司の小特集も予定されているので楽しみだ。寺山修司について書かれた著作に触れたり、寺山自身の書いた文章を読んだりすると、無性に彼の世界にひたりたくなる、いわゆる“テラヤマ病”に罹ることがある(旧読前読後2001/11/14条)。
15年くらい前寺山修司がブームになったことがあった。きっかけは、小型で地券表紙の『ちくま日本文学全集』ではなかっただろうか。その第1回配本中の一冊が寺山修司の巻で、わたしもそれを読み寺山修司という人物に惹かれるようになった。
以来こつこつと寺山の文庫本などを集めていたことを知っていたのだろう、わが読書道の先達である研究室の先輩から、寺山修司の虚飾性を暴いた評伝が出たぞといった話を教えてもらったような気がする。その方は寺山の高校の後輩にあたるのだ。
今月文庫化された田澤拓也さんの『虚人 寺山修司伝』*1(文春文庫)を見かけ、手に取ったら、「ああ、この本のことだったのか」と過去の記憶がよみがえり、いまさらながら興味をおぼえた。申し訳ないことながら、先輩から情報をもらったとき、それほどの食指が動かなかったのである。
何と、著者の田澤さんもまた、寺山の高校の後輩だそうだ。いくら自らの過去を嘘で塗り固めたり、作品が盗作、剽窃すれすれのものだったことを暴きだしても、寺山は寺山、彼の作品の輝きは失われないなどと強い心を持って読もうとしたのだが、読んでいるうちそんなことは気にならなくなってしまった。
解説の大月隆寛さんが、そのあたりの機微をうまく説明してくれている。

けれども、おそらくここが重要だと思うのだけれども、著者はそんな寺山に対して、「真実を暴く」といった姿勢では臨んでいない。彼の世代までのいわゆるノンフィクション作家、ルポライターの類ならば、まだほぼお約束で陥りかねないそういう「ファクト」信仰、「客観」報道への類への窮屈な忠誠心は、ひとまず薄い。それが何よりいいし、ある意味、救いになっている。
何が何でものし上がってゆこうとする上昇志向、過去のふるまいや経歴を嘘で塗り固めようとする虚言癖、自尊心・自己顕示欲の大きさ、東京に対する劣等心の大きさと、その背後にあってそれらを生み出した強烈な孤独感の存在を知ると、あまりの寂しさ哀しさにいとおしいまでのシンパシーを感じてしまう。
美輪明宏との交流を語る箇所で、寺山と同じように地方出身(美輪は長崎)で東京に出てきて、都会の洗練さを身につけた美輪には寺山が持っていたような東京に対するコンプレックスはなかったとし、美輪の次のような発言を記している。
「私は映画や演劇を見てもすぐ手もとに引きずりよせて生活にも利用しちゃうわけ。でも彼は、それが美しいものだとわかっても、私生活には応用しようとしないの。傍観者として見るだけ。そんな状態に彼はコンプレックスを感じていたわけですよね」(270頁)
元版が出た当時(1996年)わたしは仙台に住んでいた。この美輪の寺山観を見ると、先輩から薦められて読んだとしても、いまほど本書の読後感は強く印象に残らなかったかもしれない。高い関心こそあれ、別にわたしは東京に対してコンプレックスを持っているわけでなく、また寺山が東京に出てきた1950年代と現在では社会環境にも大きな変化があるから、寺山と立場はまったく異なるけれども、やはりわたしにとっては、今が本書を読む好機だったと言えるようだ。
寺山はまったくの運動音痴でスポーツが苦手な子供だったようだが、高校では友人たちとよく相撲をとって遊んだことがあるという。寺山の得意技について、俳句を通じて親しい関係にあった同級生の松村圭造氏が語った回想がなぜか印象に残る。
「面白い男なんですよ。押されてからのウッチャリが好きで、わざと自分から土俵ぎわまでさがっていくんです」(66頁)
この挿話を読むと、寺山修司とはそういう男なんだなということがよくわかり、なおのことウッチャリに強引に持っていこうとする心情に親しみを感じる。