杉村春子と文学座

杉村春子

来月フジテレビで米倉涼子杉村春子を演じるドラマを放送することを知り、違和感をおぼえた。わたしの記憶にある杉村はまったくの「おばあさん女優」であり、昔の日本映画を観てすら、すでに「めし」での原節子の母親、「晩菊」での元芸者、「流れる」での老妓のように、老け役の似合う(老け役しか想像できない)女優というイメージだったから。
失礼な言い方ながら、むろん杉村にも若い頃があったわけだし、米倉さんが演じるのはおかしなことではない。ただ、小柄(という印象)であり、「美人」と言うわけではない人を、すらりとして顔立ちも整った人が演じるということに、どうしても違和感を禁じえなかったのだ。同じシリーズで瀬戸内寂聴を演じるという宮沢りえのほうが、杉村のイメージに近いような気がする。
そのドラマの原作が、今度文庫新刊で出た中丸美繪さんの評伝杉村春子―女優として、女として』*1(文春文庫)らしい。ドラマへの興味以上に杉村春子という大女優の生き方に興味があったうえ、彼女が屋台骨を支えた文学座という劇団に対する興味もあったので、さっそく買って読んだ。500頁を上回る浩瀚な力作で、実に読みごたえのある評伝だった。大女優にありがちな毀誉褒貶が、いずれに極端に傾くでもなく、うまい具合に凝縮され、読後感も爽やかである。
長く杉村の舞台を撮影してきた春内順一氏の写真がカバーを飾るこの文庫本を読み終えたとき、米倉涼子も悪くないかもと思い直した。本書でたどられる杉村春子という女優、女性の一生が、一本きりりと筋の通った見事なものであったこともさることながら、カバー写真にある杉村の舞台での熱演姿がとても魅力的で、美しかったからだ。
わたしは何も知らないのだが、この写真は当たり役であった「女の一生」の布引けい役なのだろうか。いや、髪の色がブロンドっぽいので、もうひとつの当たり役「欲望という名の電車」のブランチ役なのか。
舞台写真については、こんな挿話が印象深い。1948年、杉村の「女の一生」が戦後復活した第一回芸術院賞(1947年度)を受けることに決まった。推薦したのは七代目幸四郎。彼は杉村の演技を直接観たわけでなく、舞台写真だけで推薦したという。カバー写真と関係があるのかどうかわからないけれど、カバー写真を見るかぎり、七代目幸四郎の判断に強くうなずくことができるほど、躍動感があって素晴らしい。
さて本書では、広島県で生まれ育ち、演劇を志して上京し築地小劇場に身を投じ、徐々に頭角をあらわしてゆくいきさつから、二人の夫*2、また、妻子のあった座の脚本家森本薫との恋、戦後のGIとの恋など、杉村の異性関係はもちろんのこと、文学座の創立、分裂といった社会的事件に至るまで、大女優杉村春子の一生が克明にたどられ、知られざる事実を明らかにしている。
文学座のすべてが杉村春子の姿勢によって左右されていたとするのは曲解にすぎようが、少なくとも杉村にとって文学座という劇団はなくてはならないものであり、文学座における事件というべきものは、杉村なしでは語ることはできないと思われる。
そもそも友田恭助・田村秋子夫妻を中心とすべく、岩田豊雄獅子文六)・岸田國士久保田万太郎の創立三幹事によって旗揚げされたのが文学座であった。しかし友田は劇団の正式結成前に召集され、日中戦争で戦死してしまう。残された田村は表面に出ず、「名誉座員」という立場で、自分の選んだ芝居だけに出演するというかたちで劇団に関与する。
杉村は劇界の先輩として田村に敬意を払いつつ、ライバル意識を燃やしていた。幹事のなかでもとりわけ岩田は田村贔屓で、「特に岩田豊雄と杉村については、田村秋子という女優の存在があったためか、その溝を埋めることはかなわなかった」(101頁)とあるからむしろ批判的と言ってよく、そんな岩田の文学座に対する関わり方、杉村に対する姿勢がわかったのは収穫だった。本書においては、最後に残ったということもあってか、三幹事のうち岩田がもっとも多く登場している。
杉村がライバル視していたと言えば、新派の(初代)水谷八重子や、同じ文学座芥川比呂志に対してもそうだったらしい。また、外部から文学座に脚本を提供してきた飯沢匡や、座員として一時所属した福田恆存三島由紀夫ら脚本家との間の蜜月と確執についても、それぞれ分裂騒動(劇団「雲」創立)・「喜びの琴」事件とのからみでヴィヴィッドに描かれている。
別の劇団に所属する奈良岡朋子、二代目水谷八重子との関係では、彼女たちがいずれも杉村を尊敬していることがわかるし、創立メンバーである宮口精二中村伸郎・三津田健・龍岡晋らとの親交、後輩北村和夫加藤武江守徹らとの間の微妙な関係についてもなかなか興味深い。このうち宮口・中村は杉村と袂を分かち途中で退団し、三津田はずっと杉村について残った。にもかかわらず、三津田とはわざわざ葉書で用件をやりとりしていたという。
龍岡も座に残った重鎮の一人で、彼は経理担当だった。アトリエが建つ信濃町の土地(大正天皇生母柳原二位局邸跡だという)を見つけてきたのも彼で、さらに分裂騒動のおりの面白いエピソードが伝えられている。
多くの脱退者が出るなか、脱退者の文学座での持ち株比率を危惧していた龍岡は、株を買い戻せなかったらアトリエを奪われることを懸念した。

脱退者の名前が読み上げられると、龍岡はいちいち株の数を算盤に入れていった。最後の一名が読み上げられたとき、「助かった」と思わず龍岡は叫んだ。(373頁)
わたしは文学座の芝居(信濃町のアトリエ公演)をただ一度だけ観たことがある。創立65周年企画として、創立三幹事にちなんだ演目が上演され(このとき森本薫という名前を初めて知る)、久保田万太郎の「大寺学校」を観に行った。主演は加藤武さん。
このときの感動的体験は、すでに旧読前読後2002/2/3条に縷々記し、その後も何度か触れたことがあるけれど、わたしが観に行った日は、ちょうど終演後「交流会」という観客と座員の方々との間の親睦会があったのである。
文学座なんて初めてで、居残ることに勇気がいったが、今では参加しておいてよかったと思っている。なにせ、加藤武さんによる三幹事の物真似をはじめ、元座員の同窓会のような雰囲気のなか、戌井市郎さん、長岡輝子さん、丹阿弥谷津子さんもお出でになって、昔の文学座を回想する座談があったのだから。しかも「文学座ファン」を自称する新藤兼人監督までいらした。
いま考えると、新藤さんは杉村さんの最後の出演映画となった「午後の遺言状」の監督でもある。またそのときはまったく知らなかった長岡輝子さんが、成瀬巳喜男監督の「驟雨」でもユーモアのある役を演じた女優さんであったことをその後知ることとなる。これはわたしの数少ない自慢話*3だなあと、しみじみと思い出す。
文学座の芝居を観たのがこれきりなので、何とも稀有の体験をしたわけだが、本書を読んで、いずれまた機会があったら文学座のアトリエ公演を観てみたいものだという気持ちが高まってきた。

*1:ISBN:4167679701

*2:最初の夫長広岸郎は慶應義塾大医学部出身、医学部解剖学教室の医師である。その縁で当時同大生理学教室の教授林髞、つまり探偵作家木々高太郎が仲人をつとめたという話にも驚く。

*3:だから酔っ払いの繰り言のように何度も繰り返す。