交通博物館の長谷川利行

交通博物館

結局今日も運動会は開催できず、今度の木曜日に再順延になってしまった。木曜日なんて、わたしはおろか、たいていの父親は参加できないのではあるまいか。
親子参加競技の間次男の面倒を見てもらうため、いや、長男幼稚園最後の雄姿(?)を見るべく上京してきた義母(妻の母)は、結局孫の遊び相手をしにわざわざ東京に来たようなことになってしまった。天気が悪いので誰のせいでもないけれど、申し訳なく思ってしまう。
上野駅から新幹線に乗る義母を見送った帰り、家族で万世橋交通博物館に行こうと提案した。むろんわたしの目当ては、現在同館で展示中の長谷川利行「赤い機関車庫」である。
この展示については、夏にどこかの美術館に行ったとき、チラシ(上掲)を入手して知り、閉館(来春閉館し、2007年秋大宮に「鉄道博物館」としてオープン)前に行かねばと思っていた。休みになるたび、子供を連れて行こうかという思いが頭をよぎりつつも、閉館まで間があるからと先送りしつつ、忘れかけていたのだった。
それを思い出させてくれたのが、ふじたさんである(id:foujita:20051002)。ふじたさんの場合、交通博物館に遊びに行ったら、偶然「赤い機関車庫」ほかの絵に遭遇して大喜びということだったらしい。何も期待せずにあの絵が展示されているのを観たら、それは興奮してしまうだろうな。だって、期待を満々と持ちながら「赤い機関車庫」の前に立ったわたしですら、興奮したのだから。
予想以上に大きな絵で、迫ってくるようなダイナミックな絵柄は圧倒的だ。長谷川利行の代表作と言っても過言ではないのではないか。長谷川利行の絵を観ると不思議に心が落ち着くのだった。ともかくもこれを忘れずに観る機会を与えてくれたふじたさんには感謝申し上げねばならない。
交通博物館はわたし(と次男)だけが初めてで、妻と長男は平日に何度か遊びに来ている。平日というのは賢明だ。今日のような休日はわれわれのような家族連れで大賑わいだったから。
訪れる人の多さにくらべて館内が狭いというのが、移転の理由のひとつなのかもしれないけれども、来館者がこれほどまでに多いのは、万世橋という立地のよさも大きいに違いない。大宮のどこに移るかわからないが、やはり「マニアな町」秋葉原*1に接しているという磁場は捨てるに惜しい。博物館前には緑青の緑が時代を感じさせる看板建築のしもた屋が一軒、ぽつりと取り残されていた。
館内では、いかにも鉄道マニアなお父さんが子供づれで訪れ、自分のほうが楽しんでしまうというパターンが多いらしく、うんざり顔のお母さんが多かったような気がするのは気のせいか。
運転シミュレーターのような体験型アトラクションは1時間待ちの行列だったらしい。幸い「赤い機関車庫」や鍋井克之「汽車の走る光景」のあたりは閑散としており、ゆっくり鑑賞することができた。個人的には、天皇が使用した「御料車」の実物(国指定重要文化財)が良かった。豪華な造りにため息。
また、明治や大正時代の三等車を復元した実物大モデルも好きだ。実際中に入ってすわることができる。そこにすわり肘を車窓について外を眺めれば気分は「阿房列車」(ちょっと時代は違うし、列車の等級も違うか)。
万世橋は、昨日観た映画「親馬鹿大将」のラストで登場した昌平橋の一つ東に架けられている。昌平橋万世橋の間の神田川沿い南岸には、旧万世橋駅の跡である煉瓦造の高架が威容を見せている。昨日の映画でも、昌平橋にたたずむ人びとを東から撮ったショットには聖橋が映り、西から撮ったショットにはこの煉瓦造高架が映っていた。
万世橋から眺める昌平橋は橋桁に煉瓦タイルが貼られたデザインで、昭和初期に建てられたらしい。ますます昌平橋界隈への散歩心が掻きたてられた。

*1:秋葉原を訪れるのは実に久しぶり。駅を出たらメイドの扮装をした女の子がチラシを配っていて、その女の子に写真を撮らせてくれとお願いしていたカップルがいた。断られていたが。