人生愚挙多し

佐々木邦 心の歴史

文庫本を同じ向きに積み上げてゆくうち、一定の高さに達すれば傾きだすのは道理である。これすなわち積ん読の限界なり。何列かもたれ合わせながら、崩れるのをかろうじて阻止している。
よせばいいのにそんな不安定な文庫本の山上に単行本を重ねてしまい、ますますバランスを悪くする。山の上に新しく買った本があるのは新雪のごとき状態だからごく当然として、参照の必要があって根雪部分から汗だくになりつつ掘り出し、そのまま元に戻さず重ねておく本もある。かくしてたびたび参照する本は、バランスの悪い文庫山の頂上に、崩れぬよう慎重に重心を探りつつ、そっと置かれることになる。
そういう本であればいい加減棚に収めればいいのだろうが、そもそも空きスペースがないうえ、積ん読の面積が床を浸食して、簡単に書棚に手が届かない状態にあるわが本置き部屋においては、積ん読山の上にあったほうが何かと便利なのだった。
最近そんな状態にある本に、たびたび登場する川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』シリーズ5冊(小学館)がある。山から取っては居間に持ってきてめくり返す日々がこのところ多くなっている。
ある日、川本さんの本を取りのけたとき、残った山の最上部にあった本にふと目が止まった。外山滋比古佐々木邦 心の歴史』*1みすず書房)である。佐々木邦は、戦前から戦後にかけて活躍したユーモア作家。獅子文六の小説を読むようになって、やはり同じように作品が「ユーモア小説」と呼ばれるこの作家が気になるようになった。たまたまみすず書房の「大人の本棚」シリーズに入った本書をブックオフで見つけ、買っておいたのだった。
カバー裏の紹介文のなかに、「人生愚挙多し」という言葉を見つけた。このあいだ自分も「人間は愚行を繰り返す生き物」といったようなことを書いたばかりだったこともあって(→9/23条)、心が動き読んでみることにした。
この長篇『心の歴史』は、戦後1949年の作品である。佐々木邦は戦前慶応大学の先生として英文学などを講じ、一時教職を退き作家専業となっていたが、戦後は母校である明治学院大学に迎えられ、ふたたび教壇に立った。その頃の作品らしい。
語り手は作者を思わせる英文学の元大学教授。ただし彼は「愚挙」ゆえに大学を辞し、実業家に転身、最終的には代議士になって、引退後の悠々自適の身でこれまでの自らの「心の歴史」を綴り始める、という枠組みだ。
この「心の歴史」というのは、ひと言で言えば恋愛の歴史である。郷里(山形庄内)で失恋した主人公は、相手の女性を見返すため上京、一人白金学院(モデルは明治学院だろう)というミッション・スクールに入学する。そこで教師にも恵まれ、英語の力をつけてアメリカに留学する。
アメリカでもその地の女性に恋したり(やはり失恋する)、さらに帰国して母校の教師の職を得たのち、自分が迎えた後輩教師の妻に秋波を送られ、彼女との仲を疑われて自ら身を引く。いっぽうでは従妹にも好意を抱くが、やはり失恋。その後、その従妹にそっくりな彼女の姉の娘(既婚子持ち)とも恋仲になる。すでにこの時点で「老いらくの恋」である。多くの女性に恋心を寄せながら結局生涯独身を貫いた彼は、恋の相手がことごとく鬼籍に入り、一人取り残されたそのとき、波瀾万丈の「心の歴史」を綴ってゆく。
獅子文六のように物語のテーマで読ませるわけではないのだけれど、なぜか魅了されてすいすいと読み進んでしまう。読んでいて思ったのは、この作品を原作にして映画にすれば面白いだろうということ。主人公は山村聰あたりがいいが、彼を応援してくれた次兄や、失恋の相手である従妹、その姉、従妹が嫁した軍人など、脇役が活躍する余地もじゅうぶんにある。
もちろん佐々木邦作品は何本か映画化されている。子供のころの小林信彦さんをとりこにした「ガラマサどん」は佐々木邦の作品だ。ただ“日本映画データベース”で調べてみるとこの作品は残念ながら映画化されていない。ちょうど映画の黄金期にあわせたかのように書かれた作品なのに、惜しい。