「稲妻」の前に「驟雨」

成瀬巳喜男―映画の女性性

近所にある区立図書館分館の新着図書コーナーにこんな本が入っていたと、阿部嘉昭さんの成瀬巳喜男―映画の女性性』*1河出書房新社)を妻が目の前に差し出した。
この本なら大学生協書籍部にも並んでいた。買おうか迷いつつ、そこまで成瀬論に深入りするつもりもなかったゆえ、買わずにいた本だった。春以来成熱心に成瀬映画を録画し、観ていることがわかっているうえ、末端の分館には珍しい本だと思って、わざわざ借り出してきてくれたらしい。
最近長男といい妻といい、わたしの嗜好をチクチク刺激するような、あるいは挑発するようなことをしてくれる。純粋な好意が底にあると信じて単純に喜べばいいのだけれど、根が疑り深い人間としては、自分の趣味が揶揄されているのではないかと変に勘ぐってしまうのが情けない。
とりあえず妻の厚意に感謝しつつも、図書館の本を読めない性分の私としては、阿部さんの本をパラパラとめくったり、人名索引から本文をたどったり、読書ならぬ読書を楽しんだ。ここで「うむ、やっぱり面白そうだ。買おう」などと口走れば、もし揶揄のつもりで借りてきたのであればやぶ蛇になるなあと意地の悪い考えが頭をよぎったのだが、本当に面白そうな本だったので、買ってしまうことになるかもしれない。
拾い読みでの印象だが、どうやら著者の阿部さんは、成瀬映画の出演俳優のなかでも、加東大介中北千枝子のような存在感のある脇役がお好きらしい。それが、同様の嗜好を持つわたしの心を刺激したのである。
たとえば「驟雨」を論じたこんなくだり。

「ざあます言葉」が異様に可笑しい(似合わない)山の手夫人・中北千枝子は夫の片方の靴をもっていった「犯人」がその野良犬と信じている。そして近隣の幼稚園の先生・長岡輝子は(その短髪と眼鏡、そして日教組的な「戦後民主主義」丸だしの口吻が中北同様、「類型展示」としてすごく笑える)、園で飼育する鶏が野良犬によって負傷致死した、その責任を負えと原(節子―引用者注)に迫ってくる(根岸による伝言を介してだが)。(212頁)
中北・加東の存在に着目するばかりか、「似合わない」だの「すごく笑える」といった人間臭い感想が随所に挟み込まれた、こんな成瀬映画論であれば、買っても損はない。
そうか、「驟雨」では中北さんは「ざます」奥様役だったか。長岡さんの「日教組的」園長先生は、たしかにあの映画のなかで異彩を放っていたなあ。「驟雨」は一度スクリーンで観ており、けっこう面白い映画だったという印象があった。先般の日本映画専門チャンネルにおける成瀬特集でもちゃんと録画してDVDに保存してある。いずれ再見したいと思いつつ、なかなかそのチャンスがなかった。
たまたま成瀬巳喜男監督の小特集が組まれた『東京人』10月号(通巻219号)をめくっていたら、長岡輝子さんのインタビューに目が止まった。そこでも、インタビュアーの木全公彦さんが、この映画における長岡さんと中北さんの掛け合い漫才的な場面のおかしさを語っていた。
これは「稲妻」より先に「驟雨」を観なければなるまい。