異色ずくめの「驟雨」

「驟雨」(1956年、東宝)※二度目
監督成瀬巳喜男/原作岸田國士/脚色水木洋子/撮影玉井正夫/美術中古智/佐野周二原節子香川京子小林桂樹/根岸明美加東大介長岡輝子中北千枝子東郷晴子

ということで、「驟雨」を再見した。「稲妻」や「浮雲」「めし」のような、間然するところのない緊迫感に満ちた名品にくらべれば、緊迫感の薄さは否めない。しかしながら、この緊迫感の薄さこそ、成瀬作品のなかで「驟雨」という映画の位置を特異にしているように思える。上記阿部嘉昭さんの本では、「緩い」と表現されている。まさに至言だ。
佐野周二の留守中、新婚旅行から自宅に帰らず叔父叔母の家に真っ先に立ち寄って新郎との諍いを報告する姪香川京子の(蒲郡の)話や、隣に越してきた小林桂樹から挨拶に蕎麦券を贈られ、それをさっそく使って蕎麦の出前を頼む原節子(おまけに最初は蕎麦をうどんに間違えられる)。
佐野が帰宅したあと、原と佐野の心理的な夫婦喧嘩を見せられ、自分の怒りが吹き飛んでしまい困惑する香川の表情、原が餌を与えている野良犬に靴をとられたと苦情を言いにくる中北千枝子の「似合わな」さ。原のこしらえる強飯が喉に突きささって胃痛のもとになるとぼやいて原を泣かせる佐野。佐野が目を通す前に新聞の料理記事を切り抜いてしまう原。この映画の原節子は、「めし」以上に一貫して風采があがらない。
野良犬が噛み殺した幼稚園の鶏を無理やり買い取らせられたが、たまたま佐野の同僚である加東大介らが家にやって来たのを幸い、あわれその鶏はおもてなしの鶏鍋の具と化してしまう。でも鶏は骨ばってなかなか噛み切れず皆苦闘する。噛めば美味いという一人の言を聞き、目をつぶって何度も何度も口を動かす加東大介のとぼけぶり。
佐野にデパートに呼び出され、何か食べようと言われて食べたくないと答え、おしるこならと渋々応じた原が、いざ店に入ってあんみつを注文するずっこけ。道で会っても挨拶しないとか、豆腐ばかり買っているとか、焼き芋に目がないなどと噂され、幼稚園での会でいちいち反論する原節子。彼女は会から帰ると夫に愚痴愚痴と文句を言いながら、立ったまま湯漬け(茶漬け?)を掻きこむ。
などなど、何から何までフッと気が抜けるようなおかしみに満ちた映画だ。前回観たとき、幕切れの紙風船の場面によって何ともいい気分で終わった映画だと満足して映画館から出たものだが、原節子の態度を見ると、この夫婦による紙風船のバレーボールが夫婦関係の修復とは即言えないかもしれないことに気づいた。
ところで『東京人』10月号の長岡輝子インタビューのページ(153頁)に掲載されている写真に、「『驟雨』(56年)より。中北千枝子(左)との、ユーモラスな場面」というキャプションが付けられている。長岡さんと一緒に写っている白髪の婦人がどうしても中北さんに見えないので訝りつつ映画を見直したところ、これは中北さんでなく、雨山夫人を演じた東郷晴子さんであることが判明した。