十朱久雄の禿頭、山田耕筰の禿頭

「ここに泉あり」(1955年、独立映画・松竹)
監督今井正/脚本水木洋子/音楽團伊玖磨小林桂樹岡田英次岸恵子加東大介/三井弘次/大滝秀治中村是好/十朱久雄/東野英治郎千石規子原ひさ子沢村貞子草笛光子山田耕筰/室井摩耶子

強引にまとめてしまえば、高崎で細々と活動していた市民交響楽団が数々の苦難を乗り越えて立派な楽団へと成長するサクセス・ストーリー。
敗戦直後の苦難の時代のなか、自分の生活だけでも精一杯なのに、貴重な時間を割いて集まり、練習をして、山間部の僻地へ重い楽器を抱えながら旅し、生の交響楽団演奏に無縁だった人々に音楽を聴かせ、感動を与えてゆく。
東京から夢を抱いて楽団入りするバイオリニストの岡田英次と、田舎でくすぶっていてはもったいない卓越した技能をもつピアニストの岸恵子(綺麗!―川本三郎調)が結ばれるが、子供を産んでその生活に追われる毎日。
庶民に音楽を届けたいという理想をもつマネージャーに小林桂樹。彼も理想を追い続けて家庭をかえりみないため、とうとう妻の千石規子に愛想を尽かされ、家出されてしまう。老母原ひさ子からは愚痴を言われる。生活やつれして荒れ狂う小林桂樹さんの役柄は、成瀬映画の朗らかな雰囲気に慣れると異様だ。
加東大介中村是好、十朱久雄は楽団員。東野英治郎は、途中から経理担当として楽団に入る。酒を飲み対立し、貧しさでチンドン屋のアルバイトをしたり楽器を質に入れたりしながら、現実と理想のはざまで対立を深める楽団員たち。産婦人科医を営みつつ楽団に入っている十朱。ある日田舎の小学校に演奏旅行に行ったとき、聴衆の児童が手鏡で日光を反射させ、十朱さんの禿頭に光を当てていたずらする挿話に笑ってしまった。
かつて特別に楽団の指揮をとったことのある山田耕筰(本人の特別出演)が、軽井沢に行く途中高崎の楽団のことを思い出し、高崎で途中下車する。楽団があるのかどうかすらわからなかったが、幸いまだ楽団は存続し、練習場に立ち寄る山田。粛然とした練習風景に感動した山田は、思わず彼らの前で指揮をとってしまう。このあたりがクライマックスだろう。
この映画は150分もある。一回で見切ることができなかった。こらえ性のないわたしにとって、映画を観るときの集中力の限界はたった90分なのである。
【追記】これを書いたあと、川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』シリーズ(小学館)5冊に目を通していたら、この映画は計7箇所(項目は、「花」「キス」「クラシック」「オート三輪」「童謡」「ちんどん屋」「鉄道廃線跡」)に登場していた。たとえば「クラシック」項(『続々…』所収)に今井正監督『ここに泉あり』(昭和30年)はいうまでもなく群馬交響楽団の苦難の歴史を描いた名作」とある。
観たらハードディスクから消去しようと思っていたけれど、このため迷ってしまう。本と同じで、これから先の人生この映画を観る機会がふたたびあるのかどうか、保存する意義があるのかどうか考えをめぐらさずにはおかなくなる。表現は悪いが川本本の負の影響だ。
そもそもこの映画は150分もあって、標準画質で一枚のDVDに収まらないのだ。画質を落とさなければならない。うーむ、どうしようか。