新しい古本屋小説

かたみ歌

先般第133回直木賞を受賞した朱川湊人さんについて、実は直木賞を受賞する前から気になってはいた。理由はきわめて単純で、わたしと同じ足立区在住(生まれは大阪)だからだ。区の広報だったろうか、たぶん『都市伝説セピア』が直木賞候補作となっていま注目の作家といった取り上げられ方をしていたように記憶している。
足立区住まいの作家なんて滅多に聞かないし*1、珍しいなあということと、年齢も比較的近く(朱川さんは63年生)、都市を舞台にした小説を書いているというその作風にも興味をおぼえた。ただ、『都市伝説セピア』はホラーの味つけがなされていたゆえ、あまり食指が動かなかった。
そこで今度『花まんま』での直木賞受賞。いよいよ気になってきたけれど、やはりこの作品の舞台が大阪ということで、たとえ名もない路地裏という魅力的なトポスが舞台となっているとはいえ、まだ食指は動かない。
直木賞受賞後、足立区はさっそく朱川さんに「特別文化功労賞」を贈った。栃東以来だそうだ。そういえば栃東も、足立区育ち・在住ということで、いまもっとも贔屓にしている力士である。
これも何に書かれていたのかすっかり忘れているが、『花まんま』で大阪の町を取り上げた朱川さんは、受賞第一作は住んでいる足立区がモデルの小説を書くつもりだと抱負を述べていたのを目にし*2、ならばそれは読んでみようと考えていたのである。
先日書店の新刊平台で、「直木賞受賞第一作」の帯がかけられた朱川さんの新作『かたみ歌』*3(新潮社)を見つけ、「この本のことか」と手に取った。足立区とはっきり書いてはいないけれど、東京下町の架空の商店街を舞台にした連作短篇集らしかったので、さっそく買い求め、読んだ。
本書に収められている7篇は、時間の関係もまっすぐ並べられているわけでなく、また、語りの主体もさまざま。「私」による一人称の告白体もあれば、客観的な叙述スタイルのものも混じっている。
ただし舞台は共通する。「アカシヤ商店街」と言う。「三百メートルほどの通りに、八百屋や魚屋などの食料品店はもちろん、呉服屋や喫茶店、大衆レストランや一杯飲み屋などがずらりと並んだ、その界隈でもっとも賑やかな場所」(11頁)で、アーケードがついた商店街である。
昭和30〜40年代、東京のどこにでもあったごく普通の商店街であるアカシヤ商店街。現在の時点から回顧される一篇もあって、いまでは櫛の歯が欠けたように閉店した店が目立ち、中味が入れ替わった店もある。かつては賑やかだったろうそんな町の商店街のなれの果てがたしかにわたしの家の近くにもあって、そこを思い浮かべながら読み進めた。
全篇に共通して登場するのが、商店街の中ほどにある古本屋「幸子書房」であり、その店の老齢の主人は、本書全体の狂言廻しのような役割を担っている。古本屋が登場するとはいえ、ブッキッシュな香りがただようというわけではない。こうした商店街にはたいてい一軒くらい古本屋も混じっているだろう。あってもなくても商店街の活気とはあまり関係ない。でもそれがないと何となく物足りないような、そんなたたずまいの古本屋。
しかも最後の一篇「枯葉の天使」では、古本屋主人の意外な過去も明らかになるから、少々大袈裟かもしれないが、この本もまた“古本屋小説”と言えなくもない。
幸子書房と並んで、本作品の重要なスポットとなるのが、商店街の近くにある覚智寺というお寺。ここの石灯籠には、蝋燭を立てる窓を覗くと死んだ人間が見えるという風説がある。つまりこの寺があの世とこの世を結ぶ入口になっている。本作品に収められた7篇は、すべて幽霊、幻想といった超自然的な仕掛けがほどこされているのだ。
幻想的な小道具があまりの正攻法で仕掛けられているため、読んでいて最初は面食らった。「もうちょっと抑えたほうがいいんじゃないの」と疑問をもたないでもなかった。でも考えれば、東京という大都市と幻想は、内田百間の『東京日記』以来相性がいい。もっとも江戸川乱歩の「目羅博士」などを思い浮かべれば、東京と幻想を結びつけるわたしの頭は、もっぱらモダンな都会における都市幻想的なニュアンスに傾いているとおぼしい。
朱川さんの目指す方向はそれとは少し違う。都会は都会でも、その中の場末にある、といっても多くの人間がたしかに息づいているごくふつうの町の暮らしに、ひょいと幻想を忍び込ませる。死んだ人とこの世に残された人が、ノスタルジックな商店街を仲介にして交歓する。人情話に幻想小説をプラスしたような味わい。こう言ってよければ、あるいは朱川さんは新しいタイプの幻想小説作家なのかもしれない。

*1:矢野誠一さんはたしか足立区在住だ。

*2:よく考えれば、直木賞受賞時すでにこの作品はすでに雑誌に発表されていたわけであり、あるいは別にあるのかもしれない。

*3:ISBN:4104779016