さらば「気まぐれ美術館」

さらば気まぐれ美術館

とうとう洲之内徹『さらば気まぐれ美術館』*1(新潮社)を読み終えてしまった。申孝園歩きに照準を合わせ、この「気まぐれ美術館」最終冊を読み出したのだが、既読の文章の再読を楽しめばいいとはいえ(そしてその都度発見はあるだろうとはいえ)、未読の文章がなくなってしまうことの寂しさを感じないわけにはいかない。
この巻も含めたシリーズ全5冊には、「気まぐれ」という共通するキーワードがある。これに加えて最終冊のキーワードは、「音楽」「ゲンロクマメ」「死」だろうか。
最初の一文「トドを殺すな」では、友川かずきフォークソングが取り上げられている。これをきっかけに、洲之内さんは、フォークを手はじめに、ビートルズサイモン&ガーファンクル井上陽水中島みゆき吉田拓郎岡林信康らのテープやレコードを買い込み、彼らの音楽を憑かれたように聴きはじめ、その音楽熱はさらにジャズやクラシックに及んでいる。文章にも、音楽を比喩にした表現が目立つようになってくる。前までの冊に見られない、最終冊の特徴だろう。
「ゲンロクマメ」とは、シリーズ後半から登場し出す*2愛息の愛称である。わたしたちは洲之内さんがもうすぐ人生の終焉を迎えることを知っているだけに、まだ小学生と幼いわが子に向ける老父のまなざしが暖かければ暖かいほど、痛切な響きとなって伝わってくる。
夏休みに入ったゲンロクマメと彼のママを連れ、熊野旅行をしたときのことは、最後からふたつ目の一篇「夏は逝く」に記されている。旅行でのある感懐。

彼のママは、自分とゲンロクマメとを私に写真に撮らせても、私と彼とを自分が撮ろうとはしない。彼等のアルバムに、なるべく私の痕跡を残したくないかのようである。もっとも、私もその方が気が楽だが、彼等とかけ離れている私の年齢からいっても、一所不住の私の性分からいっても、遠からずいずれは彼等の前から私がいなくなる日の来ることを考え、あるいはそのときにも最後に私が帰って行くのは彼等のところではないと考えて、その後のゲンロクマメに無用の悲しみを与えまいとする、いまからの彼女の本能的な身構えかもしれない。(310頁)
近づきつつある「死」の予感にとらわれながら、愛息と彼の母親の気持ちを思いやる。引用していて胸が苦しくなってくる。こうした「死」の予感を示す文章は、ページをめくるにつれ目につくようになる。
北海道芦別でコレクションの展覧会があったとき、出展した安井曾太郎のデッサン「少女」をあらためて眺め、「こんな美しいデッサンだったのか」と嘆息し、思わず弱音を吐く。
ずっと前から自分の持っている絵でも、こういう発見がある。しかし、陳列を終り、壁に並んだ絵を見ていて、これが見納めなんじゃないかなと、ふと思った。どの絵も私が持っている絵だから、その気になればいつでも出して見られるが、中にはもう何年も見なかった絵もある。青年会議所の人たちからも若い、若いと言われるが、私ももう七十四歳だ。ひょっとすると、これきり二度と見ない絵もあるかもしれない。(291頁)
原稿用紙のマス目を埋めるため苦渋しつつ、表題に掲げたテーマから脱線に脱線を重ね、意図的なのか意図せずになのか、結局書きたかったことを書かずに終わる。得てしてそうした文章のほうが精彩を帯びて面白い。「気まぐれ美術館」最大のチャーム・ポイントはこの点にこそある。
似た構図の絵が2点あるゴッホ作「タンギー爺さん」の画面左下に描かれた朝顔の謎を解くものと期待された「タンギー爺さんの朝顔」「続・タンギー爺さんの朝顔」の二篇は、いきなり東大寺二月堂のお水取りをお堂の中から見物した体験記から始まり、途中でゴッホ朝顔はどうでもいいが」とテーマを放擲し、ゴッホ自殺説を否定する高階秀爾さんの所論を激しく批判する。
テーマを掲げず思いついたままを書こうとした試み「みんな行ってしまった」では、日課として日記を書くことを課されているゲンロクマメ少年が、母親からもう三行書き足せと命ぜられ、「内のママはまた3ぎょうかけといった。やんなってくる。しょうがないよまったく、と、かいているうちに3ぎょうになった」と日記に書いているのを見せられ、「これはまさしく〈気まぐれ―〉調だ」と血筋の妙に感心する(106頁)。
『気まぐれ美術館』の文庫本を手に入れた当初は、なかなか手をつけることができなかった。自分にさほどなじみのない絵や画家を論じている本という認識で相対していたから、読むのを躊躇していたわけだが、いざ読み出すと、取り上げられた絵よりも画家よりも、その〈気まぐれ―〉調が自分の好みにしっくり合うことに気づいた。
『気まぐれ美術館』をすでに持っているもののまだ読んでいないという方のうち、絵のことはあまり知らないからという理由で読むのをためらっている方がいれば、ためらいはただちに振りはらい、ぜひおご一読をと勧めたい。

*1:ISBN:4103110066

*2:sumus』5号所載「きまぐれ美術館」シリーズ人名索引によれば、第三冊『セザンヌの塗り残し』から登場、『さらば気まぐれ美術館』が最多回数。