『エロトピア』と「山藤挿絵」の誕生

エロトピア1

夕刊フジ連載エッセイで確立された山藤章二さんの挿絵スタイル、いわゆる「山藤流挿絵」は、『週刊文春』で1969年から71年の足かけ三年にわたり連載された野坂昭如さんの『エロトピア』に濫觴が求められる。このことは山藤さんご自身が繰り返し述べているところである(『アタクシ絵日記 忘月忘日2』、景山民夫『食わせろ!!』所収「タブー・イラスト」など)。
先日読んだ『カラー版 似顔絵』*1岩波新書、→8/21条)でも同様の記述があった(「1 わたしの戯画街道」)。これに拠って、「山藤挿絵」とは何かをまとめておきたい。
当時異色の新進気鋭だった野坂昭如さんがエッセイを連載するにあたり、挿絵もふつうの挿絵ではつまらないと考えた編集部は、山藤さんをパートナーに選んだ。山藤さんは、「ぼくなりに計算して、それまでのタブーを犯してやろうと思った」という。
そこで編み出されたのが、作家の似顔絵、絵に文字を入れるということだった。かくして「文章を絵解きするんじゃなくて、野坂さんのエッセイと同じテーマでぼくが別の世界を描」くという従来タブーといわれた領域に足を踏み入れたのである*2。これが受けて「あのトーンでやってくれ」という仕事依頼が増えたという。その代表的作品が夕刊フジの連載であるわけだ。
ところでわたしが山藤挿絵に興味を抱いたきっかけが、奇しくも『エロトピア』なのである。昨年末の帰省中、山形のブックオフで、たまたま文春文庫版の『エロトピア1・2』2冊を手に入れた。同時に夕刊フジ本である吉行淳之介さんの『贋食物誌』(新潮文庫)も手に入れ、山藤挿絵の豊饒な世界に惹かれるようになり(→2004/12/30条)、年が明けて一気に山藤挿絵本熱が高まったのである。
もっとも、これまで山藤さんの挿絵本(あるいは夕刊フジ連載本)をまったく気にしていなかったわけではない。山口瞳さんの『酒呑みの自己弁護』を挿絵ともども楽しく読んでおり、同書を山口作品中一番好きな本だと考えているのも、山藤さんの挿絵あるがゆえとして過言ではないほどなのだ。記憶の底にくすぶっていた「山藤挿絵本」熱が、『エロトピア』で一気に燃えさかったと言うべきなのだろう。
このほど、いろいろな意味で原点と言うべき『エロトピア1』(文春文庫)をようやく読み終えた。まだもう1冊(『エロトピア2』)残っているから、軽々しく結論づけることは慎まなければならないけれども、上で山藤さんが語っているような、“画期としての『エロトピア』”という内実は、より緻密に検討する必要があることがわかる。
本書の挿絵には、毎回連載分のタイトルが、連載番号の数字とともに山藤さんによる描き文字としてイラストに挿入されているから、連載順そのままが単行本化(文庫化)されたという仮定で以下話を進める。
そこで挿絵を眺めると、自身で「山藤流挿絵」のポイントにあげている似顔絵・文字入りの二点において、『エロトピア1』ではそれほど顕著でないことがわかる。似顔絵の場合、全57点(回)のうち、明らかに野坂さんだとわかる人物が描かれているのはわずか4点にすぎない(初登場は第4回)。
文字の場合、何をもって「文字入り」とみなすかという基準が難しいから、何点という数字を示すことはできないが、夕刊フジ挿絵を見慣れていると、そのたぐいの「文字入り」イラストはごくわずかにすぎないことがわかる。たとえば、『カラー版 似顔絵』(37頁)に再掲されている第49回のイラストなどは、珍しく饒舌な部類に入る。第49回となると、第1冊の終わり近くだから、挿絵に文章と呼べるような文字が入るのも、だいぶ経ってからのことだと言えそうである。
いま第2冊をざっとめくると、この傾向はかなり強くなり、夕刊フジ挿絵のイメージに近づくとおぼしいが、このことは第2冊読了後にあらためて考えることにしたい。
とここまではもっぱら山藤さんのイラストについて論じることに終始してしまった。肝心の野坂さんの文章についても、ぜひ触れておかなければならない。本書はタイトルから想像がつくように、性の問題について、セックス、マスターベーションフェティシズム性教育などなどあらゆる事象を取り上げ、男性の側に立ってとことんまで論じ尽くした稀有な一書である。
とかく性の話、シモネタについては、親しい同性間で話題になることはあるだろうけれど、他人のプライベートに関わる話(たとえば他人の性生活や性的嗜好の話など)はおおっぴらにしにくい。異性、とりわけ女性におけるその手の話になると、なおさら神秘の森の奥深くにあるから、男性が好奇心を燃やす原因となる。
野坂さんはこうした性における男女の壁をなくすべく、実体験や見聞などをもとに、性のさまざまな側面における男女の違いなどを、ときには誇張やフィクションもまじえながら丁寧に分析してゆく。それらを読んでいると、たいてい男性側に限界があるようだ。年齢的な衰えと不能の問題などはその代表的なものだろう。
女性の性的能力が男性のそれをはるかに上回るのではないかという観測は堂々と主張されているわけではないのだが、男性の限界を述べることが結果的にその説を浮上させることになる。逆説的な女性礼讃とも受け取られるが、この論法は当時流行していた「ウーマンリブ」運動に対する強烈な皮肉ででもあるのだろうか。
内容も面白いが、文章もきわめて緊密度が高く、名文と言うべきだ。古典調、戯文調の文体を交えながら淡々と性の問題を語っていく文体は、いわゆる饒舌体とも味わいを異にし、言葉ひとつひとつの取り替えがきかない、完成度の高いものになっている。とくに第1回「エロトピア」は絶品である。
さまざまなエピソードを交えつつ持論を展開する構成にも抜き差しならない緊張感が漂っていて、これまで読んだ野坂さんの作品中でも、一、二を争う素晴らしい内容だと断言できる。山藤挿絵が高く評価されたのも、この文章あってこそということがよくわかるのだった。

*1:ISBN:4004306752

*2:この挿絵により山藤さんは挿絵賞・漫画賞を受賞した。