言葉とモノのあいだ

アナ・トレントの鞄

書籍部の新刊コーナーで新刊書を眺めていたら、ひときわ鮮やかな真紅の本が目に飛び込んできた。クラフト・エヴィング商會の新刊アナ・トレントの鞄』*1(新潮社)である。これまでは原色系を避けた淡い雰囲気の本が多かったような気がするが、今度はその逆をいく鮮やかさだ。もっともシンプルで瀟洒なのは変わらない。
今回の本は、「仕入れの旅」で手に入れたさまざまなモノたちの商品目録という、クラフト・エヴィングの本筋をいく内容になっている。
最後の商品「アナ・トレントの鞄」に、こう書かれてある。

アナ・トレントの鞄〉という言葉を口にした途端、
世界中の鞄が、
アナ・トレントの鞄〉と、
アナ・トレントではない誰かの鞄〉
のふたつに分かれた。
「それは、ただの言葉だよ」と〈言葉を売る男〉は言う。(116頁)
クラフト・エヴィング商會仕入れ、この目録に並べられているモノもまた、「ただの言葉」によって混沌たる世界のなかから区別され、つまみ出され、名づけられることで分節化されたものばかりである。
その究極のモノは「ただの石」だろう。「何の変哲もない」「河原で拾」ってきた価値もない石ころが、目録のなかに「ただの石」と名づけられ登録されただけで、「ただの石」が“ただの石”でなくなる感じがする。
万物のなかから見いだされ、言葉を付与されることで、オンリー・ワンのモノになった場合もあれば、実体のない「ただの言葉」が可塑的存在となりオブジェとしてわたしたちの目の前に忽然とあらわれる場合もある。
たとえば「軽業師の足あと」。乾ききる前のコンクリートに気づかず足を踏み入れ、みっともなくも残してしまった足型のように、「軽業師」の足型が固形物のなかに窪んでいる。けれども軽業師という言葉さながら、その窪みはあくまで浅く、軽業師の身軽で柔らかな足どりがモノとして提供されている。
クラフト・エヴィング商會の目録には、通販カタログを眺めるごとく、欲しいものを探す気構えで目を通す。今回欲しいと思ったのは、一番最初に紹介されている「エッジの小さな劇場」だ。テイクアウトの映画。携帯用のシガレット・ムービー。「いつでもどこでも、観たくなったら火を点けて煙を吸えば、頭の中のスクリーンに映画が映し出される」。出張のときこんなファンタジックなモノを携えてみたい。
ファンタジックと言えば、「「手乗り象」の絵葉書」も素敵だ。女性が右手に象をのせている絵柄が描かれたデザインに、それを説明する文章が幻想的コントとして見事にマッチしている。しかも絵葉書を撮した坂本真典さんの写真、ライティングの妙。“画文一致”の一篇だ。
古くからの書友で、“種村季弘のウェブ・ラビリントス”のやっきさんから、種村さんの遺著新刊『雨の日はソファで散歩』*2筑摩書房)の装幀をクラフト・エヴィング商會吉田篤弘さんと吉田浩美さんが担当されていることを教えていただいた。種村さん最晩年の仕事が軽やかなクラフト・エヴィング商會のデザインに包まれて、もうすぐわたしたちの手もとに届けられる…。