重松作品の文学的想像力

その日のまえに

先日読んだ堀江敏幸『もののはずみ』*1角川書店、→8/4条)中の一篇「ネームタグ」のなかにこんな一節があって、深い共感をおぼえた。

首のまわりの形を確認し、サイズや社名を記したネームタグをよく見ながら腕を袖に通してすぽっと首を穴から突き出すと、なぜかのどぼとけのあたりに圧迫感があってぐあいが悪い。おかしい、ポリープでもできたのかな。自分の身体のことになるとなんでも大袈裟に考えがちな私は、不安にかられて恐る恐る鏡に目をやり、ようやく前後が逆になっていることに気づく。
「自分の身体のことになるとなんでも大袈裟に考えがち」というのは、まったくわたし自身にもあてはまる。奇しくも当の堀江さんの本『魔法の石板』(青土社、→2004/1/9条)を読み、喉の違和感を「大袈裟に」考えて落ち込んだときの記憶がよみがえった。
そしていま、ふたたび喉・首の違和感を感じはじめている。きっかけは、重松清さんの新作その日のまえに*2文藝春秋)である。
この連作短篇集は、これまで重松さんが書きつづけている家族小説の延長線上に位置している。テーマは「死」である。親しい友人や家族の一員が末期ガンの宣告を受けたり、突然死などで世を去ってしまうという事件に直面したとき、残された家族はそれをどのように受け入れ、失ったあとにどのような気持ちで生活を送るのか、重松さんは、あえてそうした重苦しいテーマを取り上げ、短篇を連ねてゆく。
読みながら、つい自分の家族に災厄が降りかかったことを仮想してしまい、辛くなって本を放り出したくなった。こんな気持ちになるのは珍しい。小学生の頃、クラスのみんなからあまり好かれていなかった女の子が回復の見込みのない重病にかかり、先生や仲間と見舞いに行くという冒頭の「ひこうき雲」を読み、自分の小学生の頃を思い出した。
新任で着任したばかりの青年教師の指導で陸上中距離の練習をしていたものの、その先生は夏休みのあと、突然亡くなってしまったのである。骨肉腫と聞いたけれど、本当かどうかわからない。ついこの間まで一緒に楽しくグランドを走りまわっていた先生が突然この世を去るという悲しさ。死というものを意識した事件だった。
7篇の短篇のうち、最後の「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」の3篇は、妻が末期ガンにかかって亡くなる「その日」を挟んだ家族のありさまを夫の視点からつづった一連の作品となっており、他の短篇がここに結びつく仕掛けがほどこされている。家族構成が息子二人とわが家と同じであるため、居たたまれない気持ちになった。
翌月まで持たないという医師の宣告を受け、緊急の呼び出しに備え携帯電話の番号を訊ねられたとき、妻の死が身近に迫っていることを肌で感じる。そこで主人公の夫が取った行動は、携帯電話の設定を変え、病院から電話がかかってきたときだけ別の着メロにすることだった。選んだのはバッヘルベルの「カノン」という曲。「悲しい知らせは美しい曲で受けたい」という気持ちからだった。
こうした夫の行動をいかにも絵空事だと嫌がる人もいるだろう。それを書く重松清という作家を遠ざける人もいるだろう。家族が死の宣告を受け、悲しみにひたる。家族が突然の事故で目の前からいなくなる。テレビをはじめとしたメディアはそうした悲劇を大々的に報道し、その都度胸苦しい気持ちになる。
しかし現実に自分の身をもって体験しないかぎり、悲劇は対岸の出来事でしかない。映像では悲しみの大きさは伝わるけれど、その悲劇にいたる家族の来歴、悲劇を通り越した家族の行く末までフォローできない。文学はそうした局面でこそ威力を発揮するのではあるまいか。
妻の危急を伝える携帯電話の着メロの設定を「美しい曲」にわざわざ変更する夫の心情がたとえ空々しく作り物めいた印象を与えようとも、ひょっとしたらそういう行動をとるかもしれないという想像をめぐらす余地を残すのが、重松作品の特質なのだと思う。
重松作品が秘めた文学的想像力の素晴らしさは、妻が昏睡状態におちいる数日前、何度も書いては破り捨てたすえ、ようやく書き上げた夫宛の手紙に書かれた文面にも見事にあらわれている。「本当にそういう気持ちになるのだろうか」と訝しみながらも、書かれた状況を読者に想像させる力が備わっているから、一読、目頭が熱くなった。