日記文学の冒険

パリその日その日

活字になっているテキストという前提で、「日記」と「日記文学」の違いは何かという愚問を発してみる。
日記は私的なもの、日記文学はおおやけを意識したものと言えようか。いや、しかし活字という前提だから、公私の区別はほとんど意味をなさない。あくまで個人的な覚書にすぎない日記を文学に昇華させるには、何が必要なのか。フィクションか。でも、フィクションが入りこんだ日記は文学ではあっても日記ではなくなってしまわないか。
視点を変えて、筆者が公表を前提にして書いたもの、もしくはいずれ(たとえば没後)そうなる予期して書かれたものが日記文学か。一概にそうとも言えまい。書く立場と読む立場で、日記と日記文学に対する線引きが異なることが予想されるから。ことほどさように、何を日記文学にするかの判断基準は人によって千差万別なのだと思われる。
たとえば永井荷風の『断腸亭日乗』はどうか。日記文学とすべきだろうが、文学と呼ぶことをためらう人もいるに違いない。では、『徳川夢声戦争日記』は? 高見順の『敗戦日記』は? 内田百間の『東京焼盡』は? 大岡昇平の『成城だより』は? 山口瞳の男性自身日記シリーズは?
こんなことを考えたのも、平岡篤頼さんのパリ滞在中の日記『パリその日その日』*1筑摩書房)を読んだからだった。早稲田大学仏文の教授である平岡さんが交換研修員としてパリ第七大学に留学したときの日々の記録であることには違いないのだが、これが一筋縄ではいかない構成になっている。
日付はすべて不特定である。X月X日となっている。つまり匿名性のものであるのだが、つづけて読めば、ある「X月X日」と次の「X月X日」は連続した日であることは理解できる。しかし、途中でヨーロッパの別の都市(たとえばヴェネチアジュネーヴ)に旅したときなど、旅行期間中の記録がそっくり抜け落ち、あとで挿入される仕掛けになっている。しかも「X月X日」と「X月X日」の間にヴェネチアの日記が交互に挟まれるのだ。
たとえば、8月1日から7日まで一週間パリからヴェネチアに旅したとする。日記は7月31日から8月8日に飛んでいるのだが、日付がすべてX月X日であるため、内容から推測できないかぎり、飛んでいることに気づかない。そして8月8日のあとに8月1日(ヴェネチア一日目)、次に8月9日、次に8月2日(ヴェネチア二日目)のように続くのである。本書では、本来の時制での日記(X月X日)か、旅先での日記かの区別しかつけられない。
こうした縦横無尽の記法は、べつに旅行がきっかけとはかぎらない。何かの事情で数日間の日記を書かなかった場合も、その空白の日の記述があとで交互に差し挟まれる。しかもパリ到着まもない日々の記録は本の最後のほうに登場してくる始末。さらに混乱させられるのは、最後に近い部分の記録は、日本に帰国後、書かれるべき日から一年三ヶ月も経って書かれているとあること。故意にN子という恋人とも見紛う架空の女性を登場させたり、きわめて実験的な日記「文学」だと言ってよい。
こうした手法は、平岡さんの次のような日記に対する認識によっている。

日記の中の時間は、その日その日が現在でありながら、物理的な一方向の時間軸の上で連鎖を成してゆく。少なくとも、表向きの体裁はそうである。ところが、その日一日の《現在》をじっくり掘り下げ、実体化しようとすると、過去のさまざまな時点を甦らせるし、そうでなくともひとつの点、一個の鎖の輪にすぎないはずのものが無限大に膨張して、それを書き留めるのに一年かかり、書き終えると一冊の本になってしまった、という事態すら生じかねない。(54頁)
この記述にハッとさせられたわたしは、平岡さんが本書に仕掛けた日記文学トラップにすっぽりはまってしまったのである。
その日出くわした出来事、出会った人々といった事実たちは、「もっと念入りに、ヴィヴィッドに書かれることを要求してくる」(270頁)。その要求にこたえ、念入りに日記を書いていると、その日一日が終わってしまうばかりか、翌日も日記にかかりっきりになってしまう。日記が現実の一日を呑みこんでしまうのである。
平岡さんは、すべてをなげうって日記に専念するという欲求をしりぞけるとすれば、「『断腸亭日乗』のようにメモに止めるしかない」と悩む。これほど簡潔な『断腸亭日乗』の批評、その手法の相対化をほかに知らない。
本書に記録された精細なパリ生活の一齣や、回想された過去の思い出など、触れておきたい記事もたくさんあったのだが、感想をまとめようと思うと、結局本書で展開された日記論がどうしても中心になって、細かな点に言及する余裕がなくなってしまう。それほど意欲的にして刺激的な日記文学なのだった。