落語の「移り替え」について

円生と志ん生

古今亭志ん生三遊亭円生終戦直前満州に渡り、当地で敗戦の報に接してしばらく日本に帰れなかった話は、あまり落語(および落語家)に詳しくないわたしでも知っている。志ん生の半生記『なめくじ艦隊』ちくま文庫*1の巻末年譜を見ると、昭和20年5月6日に慰問旅行のため満州に渡り、帰国は翌々年22年1月12日のことだった。実に約1年半も外地に抑留されていたわけである。
もっとも円生のほうは、志ん生帰国後なお二ヶ月の間満州に滞在し、日本に戻ったのは3月のことだったと、その半生記『書きかけの自伝』*2旺文社文庫)にある。
結城昌治さんによる志ん生の評伝小説『志ん生一代』下*3(中公文庫)によると、円生は内地に妻子がいるにもかかわらず、大連にいるときだけという約束で小唄の師匠とかりそめの結婚をしたという。『書きかけの自伝』にはそういうことには触れられておらず、たんに生活の苦しい者から先に帰国できるようになったので、志ん生が先に帰ったとあるばかりだ。
ところで『書きかけの自伝』で円生は、この満州体験によって藝が開眼したという周囲の評判を受け、自らもそれを認めている。ただ笑わせる噺ばかりでなく、笑いあり涙ありという噺が自分に向いていることに気づき、それに磨きをかけようと心がけたというのである。
加えて自分の藝に対する認識だけでなく、他人の藝に対する見方もだいぶ変わったとある。

志ん生の本当の値打ちを理解できるようになったのもその一つです。以前には、やたらに大きな声を出して往来で話をする場面でも、まるで川向こうの人と話をしているような、そんな声で演るんですよ。噺そのものはたいしてうまくないのに、どうして客にウケるんたろうなんて、考えたこともある。(…)けれども、あの人は決してがむしゃらにそういうやり方をしていたわけじゃない。大勢のお客を前にしたときはそういう演出法がいちばん効果があるから、そういう手段を用いていたのだということもわかったんです。(133頁)
満州における極限的状況のなか、二人がどのように変わっていったのか、フィクションもまじえ(?)楽しく再現したのが、井上ひさしさんの新作戯曲『円生と志ん生*4集英社)だ。
この戯曲はすでに今年2月、こまつ座によって東京紀伊國屋ホールで初演されている。志ん生役が角野卓造さん、円生役が辻萬長さん。この二人に、いろいろな役柄を演じる女性4人が絡む。和田誠さんによる本書のカバーは、角野志ん生と辻円生が国民服姿で立っている姿をあしらったもので、本物の志ん生・円生のイラスト(高座姿)はカバー裏に描かれている。
それまで起居していた宿屋の部屋に相部屋として二人の芸者が入ってきて、芸者の財力に負けてとうとう部屋を追い出されてしまったり、『漱石全集』を読む高等女学校生と「三代目小さん」の話で盛り上がったり、志ん生が修道女から救世主に間違われたり、活字で読んですら面白く、舞台のありさまをイメージできるのだから、実際の舞台を見るともっと楽しめるのだろうなあと、再演の機会をひたすら待ち望みたい。
二人の藝のぶつかり合いということでいえば、「上下(かみしも)の移り替え」をめぐる場面が面白かった。「移り替え」という落語の言葉について、わたしは知らなかったけれども、戯曲を読んでいくうち、「あのことか」と理解できた。要は噺家一人二役をすることで、顔を左右に振り向けつつ、二人の会話を表現する、これが「移り替え」である。
二人がこの「移り替え」について議論をしながら舞台にあらわれるシーン。
孝蔵(志ん生:だから、松っちゃんの上下の移り替えは大きすぎるんだよ。
松尾(円生):でも、いま話をしているのはだれか、それをお客さんにはっきりとわかってもらうのがなによりも大事でしょう。そのためには移り替えは大きくてもいい。
孝蔵(志ん生:わかんない人だねえ、まったく。(57頁)
そんな話を交わしながら居候していた置屋に帰ってきた二人。戻ったときにおかみや芸者と交わした会話を即興で志ん生が再現する。この「移り替え」の台詞は、たんに前のやりとりを再現したにすぎないのだけれど、本当に落語を聴いているような感覚なのだ。
映画「銀座カンカン娘」のなかで志ん生が「替り目」を演るのを見たが*5、そこで演じられた主人公とおかみさんとの会話の「移り替え」が、まさしくそんなテンポのよさだったので、活字を読んでそれを思い出し、角野さんの演技をイメージし、志ん生の姿を想像したのだった。
二人の議論を聞き、さらに志ん生の「移り替え」の藝を惚れ惚れと眺めていた芸者が口をはさむ。
青柳(芸者):円生師匠がしてくださる落語はいつも長い。それで、科白と科白のあいだが(両手をひろげて)こーんなに空く。わたし、あのすきまが好き。科白と科白のあいだに吸い込まれそうになるよ。
孝蔵:人情噺となると、話はまた別でね、あたしァいまのところ落語は落し噺のことだとおもっているから、大きくてのろくさい上下の移り替えが気に入らないんだよ。(60頁)
円生と志ん生の落語をほとんど聴いたことがないわたしでも、この戯曲の面白さが伝わってきたのだから、知っている人ならなおさら楽しめるだろうし、わたし以上に知らない人にすら、ここで描かれたやりとりから円生と志ん生という昭和の名人二人の藝の本質、およびその違いが伝わるのではあるまいか。

*1:ISBN:4480025766

*2:ISBN:4010643110

*3:ISBN:4122023904

*4:ISBN:4087747654

*5:矢野誠一『落語讀本』(文春文庫)のなかの「替り目」項でも、志ん生出演のこのシーンに触れ、満州引揚げ二年目、59歳の志ん生が映画に出演し、しっかり「替り目」を演じたことを高く評価している。