エラリー・クイーンの愉しみ方

ニッポン硬貨の謎

推理作家エラリー・クイーンが、マンフレッド・リーとフレデリック・ダネイという従兄弟同士の二人の合同ペンネームであることは、ミステリ好きなら(ミステリ好きでなくとも?)誰でも知っていることである。
彼の作品としては、引退したシェークスピア俳優ドルリー・レーンを探偵とする『Xの悲劇』から『最後の悲劇』に至る四部作(当初名義はバーナビー・ロスだった)のほか、筆名と同じ名前の探偵が登場するシリーズが有名である。とりわけ後者には「国名シリーズ」という、書名に国の名前を冠した一連の長篇シリーズがある。
北村薫さんの新作『ニッポン硬貨の謎―エラリー・クイーン最後の事件』*1東京創元社)は、この国名シリーズのパスティシュとして書かれた。エラリー・クイーン作の『The Japanese Nickel Mystery』を北村さんが翻訳したという体裁になっている。
むろんこれは最初からパスティシュであることが断られているから、読む立場としては、クイーンの作品に通ずる雰囲気や文体をいかに北村さんが模しているか、またクイーン一流の謎解きの妙味がいかに伝わっているか、そんな点を愉しめればそれでいい。
しかしながら私はドルリー・レーンの四部作こそすべて読んでいるものの(「Y」のファン)、クイーン系列の作品はほとんど読んでいない。本格物(パズラー)は苦手だから、仕方のないことである。『エジプト十字架』だったか、『オランダ靴』だったか、何か1冊くらいは読んだような記憶があるけれど、それが何だったのか憶えていないという程度の馴染みかたなのである。
だから、読み始める前はこの作品世界に馴染めるかどうか不安だった。でも読み始めるとそんな不安は一掃された。まぎれもなく北村さんの作品であり、北村さんのクイーンに対する敬愛の念、ひいてはミステリというジャンル全般に対する愛情が込められた愉しい本だった。たぶんクイーン・ファンなら、もっと愉しめるに違いなかろう。
ダネイが来日したとき、ある事件に遭遇する。これを題材に帰国後すぐエラリー・クイーンを探偵とするスタイルで執筆したものの、発表の機会がないまま埋もれていた原稿が見つかり、翻訳されたという枠組みで物語が綴られる。
ストーリーは、幼児連続殺害事件と、書店のレジで50円玉(=硬貨)20枚を千円札に両替しようとした男の謎がからみ、ちょうど来日中だったエラリー・クイーンがその謎を解くという大筋になっている。
50円玉20枚といえば、創元推理文庫のなかに『競作 五十円玉二十枚の謎』という競作アンソロジーがあって、この両替の謎ついて並みいるミステリ作家が解決篇を書いている(未読)。戸川安宣さんによる「あらずもがなのあとがき」によれば、北村さんはこの謎解きに参加こそしていないものの、この謎が提起された場に居合わせていたという。北村さんなりの解決篇でもあるわけだ。
その謎を提起したのがミステリ作家若竹七海さんで、本書のヒロインである小町奈々子は若竹さんをモデルにしているという。わたしは読んでいて、小町奈々子のなかに、北村作品を代表する「円紫さんと私」シリーズの主人公〈私〉を重ね合わせていた。そんな可憐で知性のある女の子というイメージ。
本書においては、ストーリーや謎解きの妙味というよりも、北村さんの遊び心を愉しむべきなのだろう。30年以上も前に北村さんが書き上げ、戸川さんに原稿を読んでもらったという、『シャム双子の謎』を軸に据えたクイーン論がそっくりなかに組み込まれていたり、また各節の最後に訳者(もちろん北村さん)によって付けられた注が面白い。
マニアが喜びそうな雑学的知識を開陳し、また、「私事」が入ったりするなど訳者の域を超えた注釈が展開されている。こうした「越境」は意図的なものだろう。本当に愉しんで書いているなあということが文章から伝わって、読むほうとしてもすこぶる気分がいい。
たとえば、「会話は蜘蛛手・かくなわ・十文字・とんぼうがえり・水車と飛んで回る」という一節に付けられた注は以下のようなものである。

原文は《あちらこちら飛び火した》という意味のことを、クイーン流に、一読しただけではよく分からないように述べている。もとが凝りすぎたいい回しなので、こう訳してみた。当てはめた日本文の出典は『平家物語』、太刀を振り回す様子である。嫌味で違和感のある訳の好例となってしまった。しかしながら、実に調子のいい文句ですねえ。(87頁)
こうした「凝りすぎたいい回し」が時々登場し、シェークスピア劇の引用も多用される文体は、まさにエラリー・クイーンのものなのだろう。よく知らなくてもそういうふうに思えてくる。また、強引とも飛躍とも受け取れるアクロバティックな謎解きも、本書で言及される後期クイーンの特徴なのだろうなあということが何となくわかってきて、本当のクイーン作品にはそういう愉しみ方もあるのだという新たな発見につながるのだった。