『小沼丹全集』の周辺

小沼丹全集第四巻

ボーナスが出たらようやく買えるという情けない話だけれど、半年ぶりに『小沼丹全集』を1冊買い求めた。随筆が集成された小沼丹全集』第四巻*1(未知谷)である。
予約購入をしていながら1年近く(本書が出たのは昨年9月)店ざらしにしたままで、ようやく最後の巻までたどりついたと安堵したら、すでに隣に補巻が並んでいるのを発見した。とうとう配本されたのだな。ああしかし、補巻を手にできるのは年末を待たなければならないのだろうか。それまでに何か臨時収入などないかしらん。
未知谷編集部による読者に対するお知らせのリーフレットが第四巻に入っていた。補巻刊行の予告である。補巻には、スチブンスンの短篇や『旅は驢馬を連れて』、林語堂則天武后』といった翻訳作品と、これまでの三巻に未収録の創作が収録される。
三巻まで出るうち、「なぜあの作品が収められてないのだ」というクレームが版元に寄せられたのに違いない。未収録創作には、江戸川乱歩編集の『宝石』に発表されたミステリ短篇や、『別冊小説公園』『オール讀物』などに発表された中間小説的短篇が含まれているからだ。
かくいうわたしもそうした不満を抱いた一人なのだが、でもたぶん、実際読んでみるとあまり心を動かされる作品ではないかもしれないと思う。『黒いハンカチ』も、たしかに「あの」小沼丹が書いた洒落たミステリ連作ということで、つまらないものではなかったけれど、やはり小沼丹といえば「大寺さん物」を代表とする「作らない」小説のほうが、断然素晴らしい。
上記リーフレットとは別に、版元営業部から予約購入を受けている書店に宛てた通信文も本に添えられていた。本来は読者に見せるものではないと思われるが、そのままわたしの手に渡ったのである。
ここには「また補巻配本後、同じく小沼丹著、単行本『黒と白の猫』の刊行を予定いたしておりますことを念のため申し添えます」とある。書名の「黒と白の猫」と言えば、記念すべき「大寺さん物」の第一作タイトルである。とすれば、この単行本とは、かつてわたしが夢想した(→2004/12/22条)「大寺さん全集」なのかもしれない。
すでに全集が出ているにもかかわらず、あらためて「大寺さん全集」を出して売れるのだろうか。余計な心配をしてしまうが、少なくともわたしは買うだろう。どうせそういうかたちで出すのならば、風格ある造本にし、小沼がこだわった正字旧かなで組んでもらえればなお嬉しい。
さてこの第四巻には、『小さな手袋』『新編清水町先生』『珈琲挽き』『新編福壽草』の4冊の随筆集が収められている。『小さな手袋』は講談社文芸文庫で読了ずみ、『珈琲挽き』は先般みすず書房から庄野潤三編で出された「大人の本棚」シリーズに抄録され、読んだ。『新編清水町先生』は単行本をゾッキで買ったが、未読。『福壽草』はみすず書房のすばらしい造本の元版を持っているが、あまりにもったいなく読んでいない。ひとまず『珈琲挽き』の未読分でも拾い読みしようかな。
本巻の月報もなかなか面白い。山田稔平岡篤頼大河内昭爾三氏が短文を寄せている。とりわけ山田稔さんの「小沼丹で遊ぶ」が素晴らしい。小沼作品に頻出するフレーズ「かしらん?」が気になった山田さんは、この言葉が登場する作品がいくつあるか調べ、また一篇中何度登場するかまで数えあげる。
「かしらん?」登場作品が何篇で、最多登場作品は何であると、ただ調査結果を示すだけでないのは、さすが文学者。小沼文学における「かしらん?」の使われ方から、鋭い小沼丹論へと飛翔する。「遊ぶ」と言いつつ実はそこにとどまっていないのが見事。平岡さんの一文も、同じ大学の同僚の立場から、小沼丹の人物像に迫った好篇だった。
本巻巻末に収められた詳細な年譜には、全集収録作品が太字で示されている。これを見ると、逆に未収録の作品(多くは随筆・書評のたぐい)もかなりの数にのぼることがわかって、“断簡零墨趣味”のわたしとしては、残念に思ってしまう。
たとえば「青の季節」(『中学生活』1956年4月〜9月、6回連載)とか、1958年の項にある『高校時代』に9月号から連載(「青い鳥を見るか」「望遠鏡」「崖」「青いシヤツの死体」)とか、1961年の項の『中学時代』4月号から8月号まで五回連載(「消えた時計」「猫」「指輪」「逃げた泥棒」「標札」)といった作品が、内容がわからないだけに(もっともタイトルから想像できなくもない)ひどく気になる。
また同じ1961年項には「九月、アガサ・クリスティー『予告殺人』(角川文庫)訳了するも企画中止」などという衝撃的な記載もある*2。『予告殺人』はクリスティ作品のなかでも評価が高く、内容はすっかり忘れてしまったが、読んで面白かったということだけ記憶にある。訳了したのに企画中止とは、原稿は残っていないのだろうか。小沼丹訳のクリスティ、読みたい!
さらに年譜には、下谷区下谷町(現台東区下谷)生まれだとか、南葛飾郡本田小学校(立石にあるらしい)に入学したとある。小沼と言えば中央線、武蔵野というイメージだから、下町や葛飾小沼丹とは、イメージが合わないことはなはだしい。でも何となく嬉しいのは、自分がそちら方面に住んでいるからだろう。また亡くなる2年前の1994年の項にある「この頃より就寝前に落語を聴くことが多くなる」といった記述*3にも惹かれるものがあった。

*1:ISBN:4896421043

*2:この記載は講談社文芸文庫『埴輪の馬』所収年譜には見えない。

*3:同上。