2行分の空白

古い傷

約一年前のこと、病床で読んだ都筑道夫さんの『退職刑事』をきっかけに、それまで好きで読んでいた佐野洋さんと都筑さんを推理作家として対比的に見るという癖がついてしまった。この経緯は2004/7/16条に書いた。
この間、もっぱら都筑道夫さんの小説、とりわけ『猫の舌に釘をうて』やら『やぶにらみの時計』『なめくじに聞いてみろ』といった初期長篇を愛読し、都筑さんの“作り物”に対する執念、“作り物”にいかにリアリティを持たせるかといった方法論について、あれこれ考えをめぐらす機会があったのである。
もっとも都筑さんが、長篇にリアリティを与えようという意図を強く持っていたかどうかわからない。とにかく小説のなかに、実際に体験し、見聞した都市風俗を描き込む、そんな都筑さんの小説作法がわたしの好みのツボにはまったと言えるのである。
佐野洋さんの短篇集『古い傷』*1新潮文庫)を読んだが、佐野さんが“作り物”に息を吹き込み現実性を持たせるやり方にもまた、いたく感じ入ったのだった。
この短篇集は、書名に採られた「古い傷」に象徴されるように、登場人物が過去におかした過ちやら、過去の人間関係、隠された血縁関係など、人間を取り巻く奇縁・因縁をモチーフとして執筆された作品ばかりが収められている。
過去におかした過ちが現在の自分に災いをもたらしたり、自分の知らぬところで家族と知人が関係を結んでいたり、それらが犯罪というかたちをとって登場人物の身にふりかかってくる。
奇縁というくらいだから、ふつうでは考えられない、多分に偶然に左右される、珍しい関係を意味する。各篇それぞれに、そんな奇縁がこれでもかと織り込まれているので、ここから現実感が薄れてゆくことはまぬがれない。
そもそも佐野さんの連作短篇は、小さな新聞記事をもとに短篇を組み立てたりというように、フィクションの見せ方に趣向を凝らしたものが多く、『古い傷』もそれに近い。けれども、そんな“作り物”めいた奇縁・因縁の世界の話を読んでいるにもかかわらず、登場人物の考え方や行動が、自分ならこうする(考える)だろうというように、きわめて自然である。そう考えることで、わたしはすでに作中人物に感情移入している。佐野さんの術中にはまったのだ。
数行読むといつのまにか物語に惹き込まれているというストーリーテラーぶりも健在。「蛇の足跡」という一篇は、経済的に困窮した夫婦が主人公。お互いに生命保険をかけあっていて、自殺でもおりるという。そこで妻(高本文子)は、自分が自殺したように見せかけ保険金を詐取する計画を夫に語り出す。
しかしあまりに非現実的で成功しそうにないため、「どうも、巧く行きそうもないな」とその思いつきは諦めたかに思えた。
ここで文章に2行分の空白が設けられ、次の行がこう始まる。

城南署の刑事川口が、高本文子の自殺事件に疑問を持ったのは、その告別式からの帰りであった。
えっ、さっきの計画は諦めたんじゃなかったの、しかも本当に妻が死んでしてしまったのか。なぜそんな展開に…。とびっくりして、空白の2行に目を凝らす。もちろんそこには何も書かれていないのだが、その効果たるや絶大なものがある。この小説のポイントは、この空白の2行にあるといっても過言ではない。
こういう大胆な省略法や、結末を宙づりにしたまま終わらせ余韻を残す手法(解説の岡嶋二人さんは「不安感を伴った奇妙な後味」と表現する)が切れ味鋭い。
これもまた小説を読む愉しみということになるのだろう。都筑さんも佐野さんも、作風は異なりながら、やっぱりともに面白く、好きな作家であることを再確認した。