第72 念願の市川古本屋めぐり

旧永井荷風邸

http://park17.wakwak.com/~libre/book/index.html”のやましたさん、“種村季弘のウェブ・ラビリントス”のやっきさん、やましたさんの同級生のIさんとわたしの4人をメンバーに、特定の電車路線沿いにある古本屋を巡り歩く催しをときどき行なっている。
これまで西武池袋線(江古田・練馬・石神井から吉祥寺)、中央線(高円寺・西荻窪)、常磐線(柏・綾瀬)、東武東上線(大山・板橋・志木)と4度開催し、5度目を市川でという話がまとまり、日時も決まりながら、わたしの体調不良・入院のため急遽中止となってちょうど一年、ようやく実現にこぎつけた。
やましたさんがニューヨークに洋行されるというので、その壮行会を目的に一度飲みませんかとお誘いしたところ、この埋もれかけていた市川古本屋めぐりを逆にご提案いただき、あっという間に日取りまで決まってしまったのは、驚くとともに嬉しいかぎりだった。
そもそも市川の古本屋の質の高さに感心したのは、昨年3月、市川市文化会館で開催された「第五回市川の文化人展 永井荷風荷風が生きた市川―」(→2004/3/13条)と、関連する催しであった川本三郎さんの講演「偏奇館炎上それからの荷風」(→2004/3/13条)を聴きに行ったことがきっかけだった。その日の帰りに車窓から見えた古本屋が気になり、翌日訪れたのである(→2004/3/14条)。それ以来の市川。
市川といえば、先日読んだ『父 荷風*1白水社、→6/17条)の記憶も新しい。荷風終焉の地であり、幸田露伴終焉の地でもある文化都市市川。
各自昼食とブックオフを済ませ、14時ブックオフ本八幡駅前店前に集合ということにしたので、わたしは少し早めに市川に入ることにした。自宅最寄駅から出ている京成バスで高砂に出、京成電車八幡駅下車。駅の間近にある踏切端に、荷風が亡くなる前日にも通ったという定食屋の「大黒家」がある。昼はここで食べるしかないだろう。
前掲永井さんの本には、「亡くなる前日の二十九日(四月―引用者注)は、歩いてすぐの大黒家でいつも通りカツ丼とおしんこと日本酒のお燗一合を平らげ」(9頁)とあって、いま大黒家ではこのカツ丼・上新香・菊正宗一合が「永井荷風セット」としてメニューに加えられている(たしか1260円)。
これから古本屋めぐりで歩き回ることもあり、「荷風セット」をいただく誘惑をふりはらって、カツ丼だけにする(840円)。まあごく普通の味だ。それにしても荷風は、79歳でああしたボリュームある食べ物を毎日のように食べていたのか。
大黒家の建物は、お葬式の精進落としで訪れる割烹のような、一見立派な佇まいに建て替えられているが、道路を挟んで向かい側の踏切端には、かつては駄菓子屋だったことを偲ばせる、いまは店じまいしたしもた屋や、昔ながらの米屋があって、これらはたぶん荷風生前からあったのではないだろうか。
荷風の亡くなった家は、いまも永光さんがお住まいになってそのまま残っている。大黒家から本当に目と鼻の先、ちょっと路地を入った場所にある。永光さんの本に、荷風逝去直後の自宅前を撮影した写真が掲載されてあるが(36頁)、路地に斜めに面した門や、塀の様子はほとんど変わっていない(上記写真参照)。
さて、ここからJR本八幡駅まで歩く。狭くくねくねした路地に店が軒を連ねているマーケットのような商店街を抜け、駅前へ。駅前にあるブックオフにて、次の本を購入。

早川書房の編集者だった著者による、翻訳者たちとの交流を軸にした回想記。小林信彦さんの処女作『虚栄の市』が巻き起こした騒動などが書きとめられている。「はじめに」に目を通していると、「市川」の字が目に飛び込んできた。大久保康雄がここに住んでいたらしい。前掲『父 荷風』所載市川地図(松本哉氏作成)にも、「大久保康雄旧宅」が記されており、荷風が市川で最初に住んだ家に近く、また正岡容旧宅も近所にあった。
14時にメンバーと合流後、一番最初は、本八幡駅の南口から線路沿いに東方向に少し歩いたところにある「コモハウス」に行く。絶版文庫の品揃えが素晴らしい店だ。ここで2冊購入。

小林さんの本は書名は聞き覚えがあるが、どんな内容かわからなかった。ビニールで包装されていたため中味が確認できないが、買えない値段ではないので、未確認で買ってしまう。帰宅後確認したら、アメリ旅行記だった。
次に、本八幡駅からまっすぐ北上し、京成線踏切端にある山本書店へ。通路が狭いながらもびっしりと本が詰まり、何が出てくるかわからないような雰囲気の古本屋さん。ここでは、

を購入。ダブりだが、わたしがネット古書店で入手した値段より安いので、つい買ってしまった。
ここから、Iさんが一度訪れたことがあるという、脚本家水木洋子邸に行ってみることになった。八幡駅から歩いてしばらくのところにあるという。葛飾八幡宮の境内を抜け、方向感覚を失わせるくねくねと曲がった小径をかなり迷いながら、ようやく探し出す。猛暑のなか、もう少し歩いていたら熱中症になっていたかも。
そんな歩き疲れた体に、水木洋子邸は癒しを与えてくれた。まわりの家とは違って、生垣に囲まれた(といっても生垣は金網の柵が中にあって、添え木のような役割を果たしている)、緑いっぱいの閑雅な空間。幸い公開日(毎月第四土・日)に当たり、邸内に入る僥倖にめぐまれた。
一昨年主人を失ったこの家は、現在「水木洋子市民サポーターの会」というボランティアの方々によって維持されている。入ると、会のおじさん、おばさんがやさしく迎えてくださり、懇切丁寧に解説をしてくれる。生前から使っていたものがそのまま遺されている居間や書斎など、自由に見学できる。
書斎から庭の眺め庭から家を見る書斎からの庭の眺めにしばし見とれ、また芝生が綺麗な庭に出て、屋敷を眺める。暑さや疲れを忘れてしまう素晴らしさ。邸内には香川京子さんや小林桂樹さんの色紙が飾られている。香川さんと水木洋子さんはかなり縁が深かったようだ。先日観た成瀬監督の「おかあさん」が水木脚本。
その他成瀬映画の水木脚本には、「夫婦」「あにいもうと」「山の音」「浮雲」「驟雨」「あらくれ」など、名作が目白押しだ。水木邸を見ることができたのは古本以上の収穫だったかもしれない。
和風・洋風取り混ぜて高級住宅地という雰囲気たっぷりの八幡の地に「住んでみたいなあ」という羨望をおぼえつつ、八幡駅に戻り、ふたたび大黒家・荷風邸を見たあと、京成電車で市川真間に。市川真間には、鰻の寝床の奥に驚愕の部屋がある青山堂と、線路沿いにある正統派の品揃えが素晴らしい智新堂書店のふたつ。わたしは青山堂で次の3冊を購入。

  • 都筑道夫『フォークロスコープ日本』*3(徳間文庫)カバー、350円
  • 都筑道夫『キリオン・スレイの再訪と直感』(角川文庫)カバー、500円
  • 海野弘『都市の庭、森の庭』*4(新潮選書)カバー・帯、500円

何だか今日も都筑道夫さんの本ばかり買い漁っている。海野さんの本は、海野本コレクターであるやっきさんから、珍しいし安いというお墨付きを得たので購入。庭園紀行の本である。
市川はこれでおしまい。荷風露伴だけでなく、多くの文人が住んだ市川という町の文化の香り高さが、これらの古本屋に息づいている。古本屋と無関係に、水木洋子邸ひとつとっても、この町は素晴らしい。とりわけ京成線から北の地域、ここはたぶん、京成線沿線ということが逆に幸いし、無用な開発を免れているのかもしれない。
今回の古本屋めぐりの最後は、京成電車堀切菖蒲園に戻り、駅近くの青木書店。皆さんその品揃えに満足されたようだ。わたしは先日来たばかりなので、ちょっと見るだけにとどめた。
打ち上げは青木書店の二、三軒隣にある居酒屋富吉にて。店内の雰囲気は、けっして居心地のよさを感じさせるものではないのだけれど、出された食べ物、とりわけレバーや豚トロ焼などの焼肉類の美味しさは無類。おまけに勘定も安い。打ち上げの飲み屋がこんなふうだと、家路につく足どりもすこぶる軽い。
次回は東京南部あたりでという約束をして、解散。大上吉の古本屋めぐりだった。