第71 給水塔へ

大谷口配水塔

この週末、家に持ち帰った仕事を仕上げるためパソコンに向かっていたせいか、気分が鬱ぎ気味になっていた。幸い今日は梅雨の晴れ間でいい天気だ。気分転換に出かけることにしよう。
8日の朝日新聞地域版(東京東部版)に、「さよなら東京ロマネスク」という見出しで、板橋区大谷口にある配水塔が今月下旬に解体・撤去されるという記事が載っていた。
同記事によれば、大正末から昭和初めにかけ造られた都水道局の配水塔は現在都内に駒沢配水塔(世田谷区弦巻)・野方配水塔(中野区江古田)と、問題の大谷口配水塔(板橋区大谷口)の三つが残っている。今回取り壊される大谷口配水塔は1931年(昭和6)に建設され、多摩川を水源とし砧浄水場から送水された水2800トンを蓄えることができるものだという。
先日砧を歩いたとき(→5/28条)「荒玉水道道路」を通ったが、この道路の下を走っている水道管が、当の送水管であるわけだ。
このうち江古田の野方配水塔は、かつて長男と二人で哲学堂公園に遊びにいったついでに見たことがある。記事でも写真入りで紹介されているが、塔のふもとに「みずのとう幼稚園」という区立の幼稚園がある。
そんな経緯もあって、取り壊しになる前に大谷口配水塔もぜひ一見しておきたいと思った。取り壊しが「今月下旬」とあるだけではっきりしないから、余計気がせく。
荒玉水道道路」のときもそうだが、この配水塔でもやはり念頭に浮かんだのは泉麻人さんのエッセイだった。ただ今度は『大東京バス案内*1講談社文庫)のほうだ。さっそくめくってみると、あったあった、「水道タンクと「ほねつぎ」の町」という一篇に、当の大谷口配水塔が登場している。
泉さんがかよっていた落合の小学校の屋上からは、野方・大谷口配水塔両方が見えたという。そして間近に大谷口配水塔を見て、こう書いている。

大谷口の水道タンクは、昭和四年(ママ)に建てられたコンクリート造りの建物で、長い年月風雨に晒されて、くすみを帯びたその色合いが、ある種不気味なムードを醸し出している。/以前にもエッセーで書いたのだが、江戸川乱歩の小説の舞台などを想起させる佇まい、である。(211頁)
また、
青山や麻布で育った人にとっての東京タワー、千住あたりで育った人にとっての〝お化け煙突〟にあたるものが、僕にとっては野方やこの大谷口の水道タンク、なのである。(210-11頁)
とも書いている。23区北西部のランドマークともいうべき存在だったのだ。
今回わたしは、泉さんが大谷口配水塔を訪れたときと同じ、池袋駅西口発の国際興業の路線バス「要町循環」(路線番号:池03)に乗って当所をめざした。新聞記事でも泉さんの本でも、この路線の「水道タンク裏」という停留所や、別の路線の「水道タンク前」という停留所が紹介されている。
「水道タンク裏」でバスを降りると、いかにも解体目前のこの建物を見に来たという風情が丸だしになるのが恥ずかしく、ひとつ手前の「千川二丁目」で下車し、そこから歩くことにした。もっともバスに乗っていたのは、私のほか“池袋ウエストゲートパーク”風の若者二人だけだったのだが。
さて、バスを降り配水塔のあるあたりを目ざして歩いていると、民家が建てこんだ路地の先に、「ある種不気味なムード」を持った配水塔の姿が突如としてニョッキリ姿をあらわし、心臓が高鳴った。ごく普通の住宅地のなかに、乱歩小説風の、円筒形をして丸ドームの洒落たつくりの配水塔がそびえている構図は、古びたたたずまいと相まって、見ていると本当に胸騒ぎがしてくるほど。
大谷口配水塔(裏から)こう書くように、幸いまだ取り壊されてはいなかったけれども、解体のための足場が周囲に組まれ、裸の姿ではもう建物を拝むことはできない。敷地のまわりには工事用のフェンスもめぐらされているから、近づくこともできない。ひととおりぐるりとまわりを歩いて、解体直前の配水塔をあとにした。
大谷口配水塔を見に行こうという気持ちが高まったのは、周辺の地図を見ていたら、近くに大山の町があったことも理由だった。先日退屈男さんから大山の古本屋の話をうかがったばかりということもあり、セットで散策するのも悪くないと考えたのである。
大谷口からは、おそらくむかし(江戸時代?)からの道だと思われる通りを西にものの十数分歩くと、ほどなく東武東上線大山駅に到る。この道は、地図に大谷口中央通・大山西銀座通とある。
大山西銀座通のほうは道路拡張の予定があるらしく、自動車一台が通れるほどの狭い道の両側の建物がほとんど撤去されてしまっている。通りの名前からすれば、空き地になっている場所にかつてあった家並みは商店街だったのだろう。いまではその裏の民家やアパートがむき出しになっている。
実は大山に来るのは約2年ぶり2度目のこと。前回は書友たちと東武東上線沿線古本屋めぐりツアーと称し、この大山を出発点に東上線沿いの古本屋いくつかをまわって歩いたのだった。そのさい質の高さに驚き、もっとも収穫があったSNS大山という古書店をまず目ざしたが、何と店はビデオソフトのリサイクルショップに変わってしまっていた。
どうりで野村宏平『ミステリーファンのための古書店ガイド』*2光文社文庫)に記載がなく、大山の古本屋に知悉しているはずの退屈男さんが知らないはずだ。結局あの店には一度しか訪れる機会がなかったことになる。残念。
仕方がないので、退屈男さんご推薦のお店に行ってみる。しかしシャッターがおり、13時開店とそこに書いてあった。朝10時台に歩き回っていたのだから、無理もない。大山のアーケード商店街「ハッピーロード」も、まだ活動を開始したばかりといった感じだったからなあ。わかってはいるものの、午前中に古本屋を訪れるほうが間違っている。
まあ古本は二の次で、大谷口配水塔を見ることができたのだから、今回のところは満足して、昼飯を食べるべく家路についたのだった。
《付記》タイトル「給水塔へ」は、堀江敏幸さんの『郊外へ』(白水社*3、同uブックス*4)所収の一篇から拝借しました。