役者が語る成瀬巳喜男

成瀬巳喜男演出術

村川英成瀬巳喜男演出術―役者が語る演技の現場』*1ワイズ出版)を読み終えた。先日読んだ中古智・蓮實重彦成瀬巳喜男の設計―美術監督は回想する』*2筑摩書房、→4/27条)同様、成瀬映画を観てゆくうえで恰好の副読本となるものである。
サブタイトルにあるように、本書は、編者の映画評論家村川英さんが、成瀬映画でおなじみの俳優にインタビューした内容がメインになっている。登場するのは順に、高峰秀子香川京子岡田茉莉子杉葉子杉村春子丹阿弥谷津子山村聰小林桂樹司葉子の9名。
これに、最初の妻である女優千葉早智子、助監督を勤めた石井輝男、脚本を多く手がけた井出俊郎、二番目の妻である成瀬恒子4名に対するインタビューも加わり、さらに「同時代文献」として成瀬監督の談話記事や、成瀬監督が加わっている座談会記録などが収められている。
本書で語られている内容の細かな部分については、いずれ成瀬映画を観てゆくうえで触れる機会が出てくるだろうと思われる。ここでは、とくに面白かった箇所について、部分的に触れるにとどめたい。
成瀬映画ともっとも縁が深い女優といえば、高峰秀子さんをおいてほかにいない。戦前1941年の「秀子の車掌さん」に始まり、晩年66年の「ひき逃げ」に至るまで、全17本の映画に出演している。
そしてこの高峰さんのインタビューが何とも印象的だ。高峰さんのぶっきらぼうな物言いが際立ち、「鼻白む」という言葉がそのままあてはまるような、インタビュアー泣かせの受け答えで、まあこれが面白いといえばそうも言えるのである。
「秀子の車掌さん」については、「なんかソーダ水みたいな映画でしたね(笑)」。敗戦直後の「浦島太郎の後裔」について聞かれると、「覚えてませんね。(…)でも、あれは失敗作じゃないですか」。「稲妻」で役作りをするとき、自分の体験が反映されていたのかという問いに対しては、「していないんじゃないですか。同じ人間は二人いませんから」
次々と出演映画があって、どれがどれだか覚えていないことについて、「そのころは、なんて言うんでしょうね……私が出ればお客さんが入ったんですよ」「どの役が好きとか嫌いとか、おもしろいとか、そんなこと、全然、考えたことないです。来た役はやりますという感じでしたね」と素っ気ない。
浮雲」のあと、成瀬監督は自分のやりかたを少し変えようとしていたらしいという点について、出演俳優として演出方法が変わったという印象があったかと問われ、

別にないですね。いつもと同じです。私、映画は約三百本くらい出てますからね。耐える女も耐えない女もやってますし、ですから、今度の役は珍しいとか、おもしろいとか、考えたことないですよね。特別な思い出というものはないんです。ベルトコンベアーに乗ってるみたいで、また来たからやるかって。それで、それが過ぎ去っていって、また次が来たという感じです。
「流れる」でオール女性スターで撮影は大変だったのではないかと言われれば、「別にないですね」と流し、最後に、成瀬監督と仕事して、俳優としてプラスになったと思うことはあるかと問われ、袈裟懸けにぶった切る。
マイナスですね。何もおっしゃらないし、教えてもくれないし。だから役者もそこで止まっちゃって上手くなりません。ただ、仕事中はラクでしたよ。勝手に演っていればよかったから。私のような怠け者には最高の演出家でした。
冗談なのか本気なのか、高峰さんという人はつくづく面白い人だと思う。ただ、自分ではベルトコンベアーのように演じていたという高峰さんだが、共演者からはそう見られていないのも興味深い。小林桂樹さんはこんなふうに語っている。
高峰さんとは結構、共演していますが、非常に演技を勉強している人ですね。でも、あれは何気なくやってるんじゃないなあ。計算された演技をしてますね。
やっぱりそうなのである。そうでなければ人気女優にならないだろう。
登場する役者さんは一様に寡黙な成瀬監督像を証言しているが、そのなかで山村聰の次のひと言はなかなか重い。
おとなしいって言うとそうだけど、あのおとなしさは、なかなか強いおとなしさでね。
「強いおとなしさ」という成瀬像は、たんに寡黙で口が重いという人間と一線を画するポルトレとして、強く印象に残った。