断簡零墨趣味者の小冒険

司馬遼太郎が考えたこと6

ひと月経つのは早いもので、このあいだ『司馬遼太郎が考えたこと5』*1新潮文庫、→4/10条)を買ったと思ったら、もう次の司馬遼太郎が考えたこと6』*2が出てしまった。今月の新潮文庫(5月の新刊)はゴールデン・ウィークのためか発売が前倒しになっているらしい。ともかく断簡零墨趣味者(→2/2条参照)としては買い漏らすわけにはいかないので、購入する。
さて今回の第6冊は「『花神』『坂の上の雲』を完結、国民作家の名が定着したころ」(帯)のエッセイを収めたものである。目次を見てみると収録数が少なく、見開き2頁分しかない。約460頁に39篇が収められているから、平均すれば1篇あたり約11.8頁。一篇の量が多すぎ、断簡零墨趣味者としては逆に不満が残る。「国民作家」として重厚なエッセイも求められていったゆえだろうか。
前冊でも拾い読みした直木賞選評を今回も楽しみにしていたら、1篇しか収められていなかった(第67回・1972年上半期)。選考委員を辞めたのかと不審に思い表紙を見ると、この第6冊は1972年4月から翌73年2月という、一年に満たない期間を対象としていたのだった。
道理で選評が1篇しかないわけだ。前冊は5篇も収められていたのと大違いである。ちなみに今回の選評では、筒井康隆家族八景」、綱淵謙錠「斬」井上ひさし「手鎖心中」が取り上げられている。受賞作は「斬」と「手鎖心中」。
選評はこれだけなので、そのほかなにか面白い文章はないかと、任意のページを開いて拾い読みしようとしたところ、ちょうど「司馬遼太郎作品全文庫・選書」という折り込みチラシが挟まったページが開き、そこにあった次の一節に目がとまった。

私はこの全十巻を昭和三十年ごろ大阪の道頓堀の古本屋で買った。目方で売る紙クズ同然の値段だった。古書籍商人というものは本の内容についてじつによく知っており、値段は正直に内容をあらわすものなのである。(183頁)
このとき司馬遼太郎が「紙クズ同然の値段」で買ったのは、参謀本部編纂『明治卅七八年日露戦史』という十巻本で、『坂の上の雲』執筆の参考文献として購入したものであった。「明治後日本で発行された最大の愚書」という酷評のあとに上記の文章がつづいている。
これを読んで気になったのは、司馬が本を購入した「道頓堀の古本屋」である。価値のあるものに高い値をつけるのではなく、逆に「愚書」に「紙クズ同然」の値をつけるということで司馬に感心された古本屋とは、やはり天牛書店なのだろうか、と。
最近天牛書店のことについて書かれた本を読んでいる。岡崎武志さん(id:okatake)の『古本生活読本』*3ちくま文庫、→3/23条)だ。同書所収「林芙美子「めし」で巡る大阪ガイド」という一文で言及されていた。
ここで岡崎さんは、『めし』に登場する大阪千日前の古書店「七庫堂」を、同所にあった天牛書店であると推測している。天牛書店の創業者天牛新一郎が千日前のお店を開く以前は、昭和24年から道頓堀中座前に店を構えており、千日前移転後その店は長女の娘婿に任されたとある。司馬遼太郎はここから買ったのだろうか。
『古本生活読本』と言えば、「あの司馬遼太郎さんが新書を出していた、という爆弾級の話からする」という一文で始まる「古本屋の棚から見た新書あれこれ」という一篇も収められている。司馬が触れた店が天牛書店であろうとなかろうと、こういうつながりを見いだしただけでも、今回の「小冒険」は満足裡に終わったと言わねばならない。
余話。『司馬遼太郎が考えたこと6』には広瀬正の没後に刊行された『鏡の国のアリス』の帯文が収録されている(「無題」)。ここで司馬は、「その作品の熱心な愛読者の一人」と告白し、広瀬の早すぎる死を悼んでいる。