地団駄を踏む内田百間

無弦琴

内田百間の文業については、テーマ別に再編集したアンソロジーを中心とした作品集が福武文庫(29冊)と最近のちくま文庫(24冊)に入っている。また別に、これらに先行して、単行本ごとにそのまま文庫化された旺文社文庫版(39冊)がある。
福武文庫版もちくま文庫版もそれぞれにユニークな特徴がある。福武・ちくまは新かなづかいであるのが短所だけれど、ちくまの字は精興社だから許す。ちくまはクラフト・エヴィング商會、旺文社・福武は田村義也さんによる装幀で飾られ、いずれも捨てがたい。いまのところわたしは、百間作品を旺文社文庫版で読むことにもっとも喜びを感じる。
旺文社文庫版を苦心してすべて揃え、さて最初から一冊ずつ読み直していこうと志してから何年経つだろう。新潮文庫からも新版が出された『百鬼園随筆』『続百鬼園随筆』は既読(のはず)だから飛ばし、次の第三随筆集『無弦琴』を、書棚の収めてある場所から一歩前に突出させ目立たせてあった。
最近ふじたさん(id:foujita)の田村義也さんへの言及と、丸谷才一さんのエッセイに触れることで、計画をようやく実現する気になった。丸谷さんのエッセイというのは、先日読んだ『犬だつて散歩する』*1講談社文庫、→4/15条)に収められている「嫌ひなもの」という一篇のことだ。
ここで丸谷さんは、百間の好きなもの(鉄道・ビール・借金)についてはさまざまな考證がなされているのに、「ところが彼の嫌ひなものについては誰も論じない。わたしはそのことをはなはだ遺憾に思つてゐます」として、百間は四十七士が嫌いだったと指摘、その理由をあれこれ忖度している。この視点転換の鮮やかさに、ぐぐっと百間に惹き寄せられたのだった。
というわけで『無弦琴』を読んだ。本書には、すでに過去何度か読んでいる随筆がけっこう含まれていた。たとえば師漱石の思い出を書いた「虎の尾」や「漱石遺毛」。とりわけ後者は、いただいてきた「道草」の反故原稿に植えられた鼻毛について面白おかしく語るいっぽうで、師の姿をしっとりと回想した、見事な小品だ。
宮城道雄との交友記「旅愁」や、谷中安規との交友記「風船画伯」、さらに、先日『芥川龍之介雑記帖』(河出文庫)を入手したときもざっと目を通した芥川の追悼文「竹杖記」や「河童忌」もここに収められていたのか。「竹杖記」をあらためて熟読してみると、芥川と無関係のこんなくだりに注意が惹かれた。

陸軍士官学校では、生徒の喫煙を厳禁し、酒は許してゐたので、卒業式などには、酔払つた生徒に胴上げされる教官もあつた。海軍機関学校では酒を厳禁して、煙草を許してあつた。生徒達は頻りに煙を吹かしながら、みんなそこいらに佇んでゐる。気がついて見ると、どれもこれも中途半端な所に起つてゐて、塀に靠れるとか、蹲踞むとかしてゐる者は一人もゐないのである。そのわけを聞いたところが、軍艦に乗り、甲板に起つてゐる時の練習なのださうであつた。休憩時間にしやがんだり、凭れたりした者は罰せられる。(142頁)
百間随筆のなかでもとりわけ目立つ「掻痒記」もここに入っていた。大学を出ても職に就かず、母親や妻子を抱えながら貧乏暮らしをしていた時代、頭がどうしようもなくかゆくなり、しまいにかさぶたができて病院通いをした顛末を報告した長篇随筆だ。
散髪したとき、患部を一目見て鋏を動かす手がとまった床屋の挿話、皮膚科にかかり頭に包帯を巻いてもらったのはいいが、包帯の内側がかゆくて始末におえず、かゆさのあまり自分で包帯の上から頭を殴りつけたり、床柱の角に頭をぶつけたりするという場面、思い切って頭を剃りあげ、その足で漱石山房に向かったところ、漱石は「ふん」と云って「鼻のわきを少し動かした」挿話など、読みながら笑ってしまう。
自らが見聞した火事を、時間軸にそって記した「炎煙鈔」も、火事という凄惨な事故を淡々とした描写が見事に融和した名篇だ。上野博品館で食事中吉原大火の煙を目撃したときの話。
東京に来てから間のない事でもあり、第一、吉原と云ふ物を恐ろしい所に考へて、行つて見た事もなかつたので、花魁が襦袢の襟を拭いた揮発油に火を引いたと云ふその出火から間もない黒煙を目のあたりに見ながら、馳けつける気にもならなかつたのは、私に取つて千載の恨事である。不夜城の全廓が一片の灰燼に帰したと云ふ翌日の新聞記事を読んで、地団駄を踏んだ。(159頁)
比喩とはいえ、「地団駄を踏む」百鬼園先生の像を想像してしまうのである。