開拓者の物語

夕べの雲

庄野潤三さんの『せきれい』(文春文庫)を読み、日常生活の隅々にひそんでいるささやかな幸福を拾いあげることで構築されている作品世界に魅了された。そしてこの作品を含む一連の「老夫婦物」全体に関心が広がった(→1/23条1/28条)。
1/28条では、

はじめて読んだ『せきれい』に違和感を感じなかったように、これら長篇群は単独作品として楽しむことができる。ところが私の悪い癖、コレクション癖と妙なところで律儀な性格から、せっかく読むのであれば、最初の作品から読まねば気がすまなくなってきてしまったのだった。
と書いたが、困ったもので、庄野さんは『貝がらと海の音』以前から、自らの家族をモデルとした家族小説を営々と書きつづけているのである。性分として、最初のほうから順繰りに読み、庄野潤三一家の歴史を追いかけないと気がすまなくなってくる。
たぶんこれ以前にもあるに違いないのだが、ひとまず名作の誉れ高い読売文学賞受賞作夕べの雲*1講談社文芸文庫)から読むことにした。現在もお住まいになっている生田に越してきた直後の時期を描いたもので、子どもは長女が高校生、長男が中学生、次男が小学生の頃にあたっている。
「老夫婦物」のトーンと同じく、5人家族の日々の生活が淡々と、しかしユーモアを十分に含んで描かれ、そこから品格がにじみ出してくる。一家が生田の森に越してきた当時、丘の上の一軒家のまわりには風をさえぎる木々すら存在せず、強い風におびえ、凄絶な雷に恐れおののく。
「老夫婦物」とくらべると、周囲の人びととの交流を描く場面が乏しい。世界が主人公一家の日常生活に局限されている。それはそうだろう。子どもたちが成長し、それぞれ配偶者を得てそこに子ども(主人公にとっては孫)が生まれたり、また、一家が家を構えた場所の周囲の山が住宅地として開発され、のちに親しく「おすそわけ」の関係を取り結ぶような人びとが越してくるのは、まだまだ先のことなのだから。
この『夕べの雲』は、生田に越してきたばかりの家族が、家のまわりにある自然に対し、名づけることによって分節化して、認識を広げてゆくという、あたかも未開の土地に入植した開拓者の物語のような様相を呈している。たとえば丘の上り下りで通る道に「森林の道」「マムシの道」「S字の道」「まん中の道」という、家族だけで通用する名前を付けたり、歩くのに疲れたとき一服するため腰かけるのに適当な木を「椅子の木」と呼び、その家族だけがその木を特別なものとして眺める。こうした点に、「老夫婦物」にはない本作品の面白さがある。
高校受験を控えた長女の部屋に預けている蜜柑の段ボール箱から、信じられない速さで蜜柑が減っていくことに対し、蜜柑を取りに来る家族に向けて長女が示した次のメッセージは、『インド綿の服』(→3/2条)以降「老夫婦物」に至るまで、その作品世界のなかでユニークな光を放っている長女からの手紙の萌芽を見てほほえましくなる。
庶民たちはわが大浦(主人公一家の姓―引用者注)帝国の財産ともいうべきこの蜜柑貯蔵庫に無断で立ち入り、持ち去ることを固く固く禁ずる。ブタミン(註・ビタミンではない―原注)C欠乏の者は、晴子大蔵大臣の許可を得て、高くかかげながら持って行くこと。よくよく頭の中にこのこと叩き込んでおくべし。
夕べの雲』はおろか、庄野作品全体を知るうえで重要だと思われるのが、親友小沼丹による『夕べの雲講談社文庫版解説だろう。いま彼の没後刊行された随筆集『福壽草』*2みすず書房)に収められている。このなかで小沼は、庄野作品の特質について、こう書いている。
庄野が日常の何でもないことを書いてゐるのは、そこに庄野の尊重する、またよろこびを覚えるをかしみを見出してゐるからだらう。美が、詩があるからだらう。また、それを強調するやうなことはしない。余計な説明や粉飾は一切省略して、言葉を撰び目立たぬやうに押へて書いてゐる。(422頁)
そしてこうした「日常の何でもないこと」の描写に気品を与えているのは「詩心」にほかならぬとする。
河上徹太郎が文学時評のなかで本書を「今どきこんな筋のない家庭生活の日常茶飯事を書き連ねて新聞の連載にするなんて、常識の埒外にあることだが、それをやり上げたことは、ただこの作者の志の高遠さのさせることであるだけでなく、その才能の稀有なことを示すものである」と評したのを受け、小沼は、「「常識の埒外にある」ことを庄野にやらせた新聞社も忘れてならないかもしれない」と注意を喚起した。
この小沼の指摘は、講談社文芸文庫版の解説を書いた阪田寛夫も引用している。ここで庄野作品から離れ想起するのは、小沼丹自身の唯一の新聞連載小説風光る丘』である。先般ついに未知谷から刊行された*3。このゴールデンウィークを利用して『風光る丘』を読み、「「常識の埒外にある」ことを小沼にやらせた…」と感じたいものだ。
話を『夕べの雲』に戻し、印象に残った一節を引用したい。
「ここにこんな谷間があって、日の暮れかかる頃にいつまでも子供たちが帰らないで、声ばかり聞こえて来たことを、先でどんな風に思い出すだろうか」(87頁)
ひとこと物をいうにも、うまいいい方とまずいいい方がある。人間の生活はいつも誰かと物をいっているうちに一日が暮れるもので、大事な用で物をいうにも、ただ無駄口をたたくにしても、なるべくまずいいい方をしないでおきたいものだ。ある日ある時に誰かにいった言葉は、もう一度いい直しがきかないし、消しゴムで消すわけにもゆかない。(107頁)
前者は、暗くなるまで外で遊んでいる子どもたちに腹を立たせながら迎え行ったときにふと浮かんだ感懐である。ある日、ある時間の何気ない一瞬が、ある特定の状況と結びついて記憶に刻まれる。こうした状況を大切なものとして自覚しようとする感性に共感をおぼえる。また目黒考二さんのエッセイを連想した。
後者は、子どもに対し咄嗟に事実を固塗する発言をしてしまったことに対する反省の弁である。子どもへの対し方にとどまらない、重い文章だ。