伝説の絵日記

アタクシ絵日記忘月忘日

数日前山藤章二さんの『アタクシ絵日記 忘月忘日8』(文春文庫)を手に入れ、1月から集め始めた同シリーズ既刊分8冊がメデタク揃った。これまで1と2の2冊を読んでいたが、いい機会なので、残り6冊をこの週末一気に読むことにした。
いま既刊分と書いたが、続刊があるわけでなく、この8冊でおしまいである。山藤さんは『オール讀物』の口絵を30年間担当し、最終回となる回のひとつ前の号(2001年1月)ではじめて休載した。心房細動の症状を起こし、入院したのだ。不幸中の幸いで重きには至らなかったものの、医師から「大きな負担を感じてる仕事は避けた方がよろしい」と言われ、辞める決意を固めたという。
最終回「「アタクシ絵日記」最終ページ。」でこの経緯を報告し、30年間の口絵仕事をふりかえっている。「世相あぶりだし」(9年間)、「戯風柳多留」(3年間)、「オール曲者」(2年間)、「アタクシ絵日記」(16年間)とスタイルを変えながら口絵を描きつづけてきたことを知る。
この「アタクシ絵日記」シリーズは、ほとんど「忘月忘日」と不特定の日付が付された日記スタイルで、文字は活字でなく山藤さん自身の肉筆文字がそのまま使われる。丸くて少し右上がりのせいか、ひととおり読み終え、ふつうの活字で組まれた解説を読もうとすると、文字が右下がりになっているような錯覚を起こす。
内容は、奥様が倒れたこと、お嬢さんや息子さんの結婚、お孫さんの誕生といった私事から、大ファンである阪神の話、常識的なスタンスから率直な口調で鋭く説かれる政治・社会時評、落語をはじめとする笑芸論・芸人論、むかし話まで多岐にわたる。
なかでも印象深いのは、故人との交遊を、絶妙なエピソードを軸に懐古しながら、ユーモアをこめつつ、しっとりと悼む追悼文(画)である。今回読んだ3から8のなかでも、色川武大(3)、松本清張(4)、安部公房園山俊二・逸見正孝・吉行淳之介飯沢匡(5)、山口瞳(6)、江國滋(7)など、素晴らしい内容のものが多い。
松本清張の追悼文では、彼の指名で「Dの複合」連載時の挿絵を担当することになった思い出が語られている。挿絵2葉も転載されているが、松本清張と山藤さんの挿絵という結びつきは意外に感じた。『Dの複合』現行文庫版(新潮文庫)を調べると、この挿絵は収められていない。挿絵付きの新版を出してくれないものか。
いまから思えば興味深い話もいろいろ書きとめられている。PART5の「古今亭志ん生とハイテクノロジー」では、志ん生の高座をまるごとアニメで再現する話が山藤さんに持ちかけられ、この仕事に没頭した一部始終が記されている。この話を山藤さんに持ち込んだのが、いまライブドア騒動の渦中にあるニッポン放送の亀渕社長だという。
当時亀渕氏はポニーキャニオン専務取締役(ゆえに志ん生の高座アニメは同社から発売された)で、山藤さんは彼のことを横澤彪氏と並び、「片やラジオで、片やテレビで〈日本の新しい笑いの新大陸〉を発見した二人のコロンブスと称えている。
本業のイラストは、あらためて言うまでもないが、これが一人の仕事なのだろうかと不思議に思うほど変幻自在で、どれも惚れ惚れと眺め入ってしまう。やはりPART5の「十三年ぶりの画集「器用貧乏」」において、自身の多様な作風を「強引に」10のジャンルに分け、それぞれを次のように名づけている。

  • 切り絵
  • 材質絵(台紙の紙質を生かす)
  • 斜線絵(斜線を多用して陰影を出す)
  • ヘタウマ絵
  • 基本山藤絵(夕刊フジ挿絵はこれに該当)
  • マチエール絵(色ムラの面白さを出す)
  • 朝日似顔絵(新聞掲載の似顔絵)
  • 画風模写絵
  • 和紙絵(にじみをうまく利用する)
  • 山藤浮世絵

すべてにおいて素晴らしく、どれも好きなのだが、とくに感心するのは「画風模写絵」。自身で「わが才能に驚く」自画自賛するほど精巧な模写で、たとえばPART8「「オール讀物」創刊70周年記念号。」では、『オール讀物』誌の歴史を飾った名挿絵画家たち、田中比佐良・小野佐世男鈴木信太郎宮田重雄清水崑岩田専太郎茂田井武の挿絵の模写が試みられていて、私はそれぞれの画家の画風をすべて知っているわけではないのだが、山藤さんの画風から離れ、いかにもという雰囲気をたたえているのである。
この「アタクシ絵日記」は、『断腸亭日乗』を代表とするわが国の日記文学のなかでも、独特の位置を占める、貴重なシリーズである。時評的な内容も有するので古びたと判断されたためか、ほとんどがすでに品切となっている。あと10年もすれば「こんなすごい「絵」日記シリーズが文庫になっていた」と伝説化しているのではないか。
★文春文庫『アタクシ絵日記』シリーズ一覧 ※( )内は記載月、〔 〕内は初出誌の月号

  1. 『アタクシ絵日記 忘月忘日』(84/10-86/9)〔85/1-86/12〕ISBN:4167463016
  2. 『アタクシ絵日記 忘月忘日2』(86/10-88/9)〔87/1-88/12〕ISBN:4167463024
  3. 『アタクシ絵日記 忘月忘日3』(88/10-90/9)〔89/1-90/12〕ISBN:4167463032
  4. 『アタクシ絵日記 忘月忘日4』(90/12-92/11)〔91/1-92/12〕ISBN:4167463040
  5. 『アタクシ絵日記 忘月忘日5』(92/12-94/11)〔93/1-94/12〕ISBN:4167463059
  6. 『アタクシ絵日記 忘月忘日6』(94/12-96/11)〔95/1-96/12〕ISBN:4167463067
  7. 『アタクシ絵日記 忘月忘日7』(96/12-98/11)〔97/1-98/12〕ISBN:4167463075
  8. 『アタクシ絵日記 忘月忘日8』(98/12-01/1)〔99/1-00/12,01/2〕ISBN:4167463083