少年時代の自分に送る本

マイナス・ゼロ

広瀬正さんの『エロス』を読み終えたとき、「余韻が消えないうち『マイナス・ゼロ』を読まねば」と書いたのは、偽らざる心境だった。とはいえ、同じ作者の似た系統の作品を続けて読むのをためらうという“読み惜しみ”体質の自分のこと、あいだに別の本を挟み、「中四日」程度の感覚で読むつもりでいた。
しかしながらあの広瀬作品の強烈な磁力からは逃れがたい。広瀬作品を読むきっかけのひとつとなった川本三郎さんの『東京人』連載の文章は、やはり当該作品(『マイナス・ゼロ』)を読んでからじっくり味読すべきだろうと我慢していたから、もうこらえかねてすぐ読むことにしてしまった。
そしていざ『マイナス・ゼロ』*1集英社文庫)を読みはじめると、期待に違わず素晴らしい。ストーリーは、同じタイムマシン物として思い出す「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とくらべても格段に複雑で面白い。巧妙に伏線がめぐらされ、読みながら少しひっかかっていた部分が、あとで「ああ、あれはこういうことだったのか」と納得することばかりで、無駄な叙述が見あたらない。複雑にからんだ糸が最後に見事に解きほぐされる快さは極上のものである。
司馬遼太郎が本作品を論じて、作者の「空想能力と空想構築の堅牢さ」に一驚しているが、たしかに「堅牢」としか言いようがない緻密な構成力にめまいがする。タイムマシン物としての矛盾(タイム・パラドクス)をマニアックに指摘することもできるのかもしれないが、そんな矛盾を感じさせぬスリリングな興奮に充ち満ちている。
今朝起床後、家で残り100ページを切ったところまで読み、出かける時間となった。迷わずカバンに入れ、電車本をさしおいて電車で読み継ぎ、残りは昼休み、弁当持参でいつもの公園に行き、最後まで読み切った。
本作品の舞台のひとつは、「昭和7年の東京」である。とりわけ郊外住宅地として開けつつあった梅ヶ丘と、東京随一の繁華街銀座の町並みが、これでもかと克明に描かれる。
タイムマシン物一般を考えると、「過去の世界」の描写には、いかにもそこの時代だという事件・アイテムがあざといほど盛り込まれる印象がある。『マイナス・ゼロ』の場合も例外ではなく、細かな点に至るまで、昭和初期の社会風俗、東京の町並み、そこで暮らす人びとの生活の細部が描写し尽くされる。
たとえば、こんな文章に出くわすと、つい嬉しくなってしまう。

九月一日の二百十日から二百二十日にかけて、台風がいくつか来たらしい。このらしいというのは、室戸台風という大スター登場以前のこの時代の人々は、あまり台風に関心がないのか、新聞やラジオがとりたてて扱わないからである。(216頁、太字は原文傍点)
(交通―引用者注)標識には、一定のパターンがなく、各警察署が、立て札に勝手な文句を書いているようだった。だから、中には、ずいぶん凝ったものもあった。俊夫が、円タクで上根岸の「笹之雪」に行ったときに、下谷の車坂の交差点で見たのには、こう書かれていた。
〈左折車ハ、止レデ進メ、進メデ止レ、警視廳〉
ちゃんと七五調になっているので、読みやすいが、いったい、どういう意味なのか、さっぱりわからない。(248頁)
広瀬作品の場合、こうした描写にあざとさを感じないのは、著者が自らの生きた過去の東京に対する愛着を捨てず、また郷愁を感じながら書いているからにほかなるまい。
その証拠に、『エロス』にも『マイナス・ゼロ』にも、「広瀬正少年」があたかもゲスト出演のように登場する。登場の仕方も切ってはめ込んだようなものではなくきわめて自然で、おそらく実体験が踏まえられているに違いない。
両作品とも、扉裏に「この本を少年時代の自分に送る」という献辞がある。「贈る」でなく「送る」なのは誤植ではないのだろう(ただし『エロス』は「おくる」とひらがな表記)。たとえ誤植であっても、私は、広瀬さんが「あの頃(の自分)」にこの本を送り届けたいという意味で使ったのだと曲解したい。
『エロス』『マイナス・ゼロ』の2作品を読み、広瀬正という作家の人間を見るまなざしの暖かさに打たれた。悪人が出てこない。SF作品を読んでいながら人情話を読んでいるような、そんな奥深い味わいがある。『マイナス・ゼロ』解説の星新一さんが「広瀬さんの作品には、人柄を反映して、どぎつさが少なく、ゆったりしたものが流れている」と評していることと、私の印象と通じあう。
昭和初期の人気映画女優(架空)が登場するのも、川本さんの好みに合致したのだろう。広瀬さんは1972年、48歳で夭折したが、星さんによれば、次回作以降も「いくつかの構想をたてて」おり、「そのなかには、戦前の東京を舞台にしたものも含まれていた」という。
もし広瀬正がもう少し長生きして、こうした作品を次々と書いていれば、SFという世界にとどまらず、日本の文学に独特な位置を占める、そしていまの時代に称揚されるような作家として高い評価を受けたに違いない。