杉の植林と花粉症

空からの民俗学

シーズン前、今年は史上最大の杉花粉飛散量になると予想され、実際そのとおりになった。これまで花粉症の「か」の字すらなかった私も、この直撃を喰らい、花粉症にかかってしまったようだ。
いま、「ようだ」と断定を避け曖昧な表現を使ったのは、花粉症になったことをまだ認めたくないのと、症状がもっともひどかった時期、ちょうど風邪もひいていて、本当にあれが花粉症の症状だったのか、判別がつかないからだ。
症状は3月末頃がもっともひどかった。外出すると目がちょっとかゆくなり、鼻の奥とのどの境目あたりががムズムズする感じがして、くしゃみも、立て続けにというほどではないにせよ何度か連続して出る。
念のため近くの耳鼻科で診てもらうことにした。小児科も兼ねているような、繁昌している医院で、花粉症の人と子供の風邪を診てもらう親子連れで待合室はおおにぎわい、医師も次から次へと流れ作業のように診察し、ひと息つく暇もないような様子。過労で倒れないか心配してしまう。やっと順番が来て、上のような症状を説明すると、「ああ、花粉症ですねえ」といとも簡単に宣告され、目薬と鼻の噴霧薬*1を処方された。
アレルギー反応の検査などを経て花粉症かどうか判断してもらう気でいた私は拍子抜けした。本当にこれでいいのか、と。医師には失礼だが、だからまだ自分が花粉症であるかどうか、信じ切っていないのである。
近年の杉花粉症患者増加の要因として、過去における杉の植林政策が指摘されているらしい。当時はよかれと思ってやっていたことだろうし、花粉症の猖獗など予測もできなかったろうから、一概に責められない、微妙な問題だなあと思っていたところに、宮本常一さんの『空からの民俗学*2岩波現代文庫)という本を読んだ。
表題作の連載エッセイは、日本のある地域を撮った一枚の航空写真をもとに、空から見た日本の景観を綴るというもので、「旅する巨人」(by佐野眞一)のこれまでのフィールドワークによる蓄積のうえに、航空写真という新しい切り口から景観論が展開され、とても刺激的なエッセイになっている。
このなかの「十津川風景」という一篇では、奈良吉野山中のダムを撮った航空写真が取り上げられ、この地域における林業の変遷について述べられている。初めは雑木林だった山々が、建築用材や酒造用の樽・桶に使用するため杉を植林していった結果、杉の山に変化した。
また上記連載とは別の一篇「空から見る日本農業」では、東北の山の緑に触れ、やはりこの地域も戦前までは雑木林だったが、戦後薪炭材を必要としなくなったため、徐々に杉に植え替えられたとされている。
本書所収の別の連載エッセイ「一枚の写真から」の一篇「杉皮を積んだ山地」では、近世以来、建築材・樽桶用材として、「老木を利用するよりも、四、五〇年くらいの木の方が利用価値が高いため、人工造林もすすんでいった」と指摘されている。またここでは、西日本は赤松材にて建築材としての需要増を補い、東日本は杉に頼ったとある。東日本に花粉症の人が多いのは、そういうことなのか。
これらの植林と利用の合理化・大規模化により、山に暮らす人びとの生活も変わり、過疎化が進んで廃村に追い込まれた村もあったという。杉の植林は、エネルギー問題や家屋の原材料の問題など、戦前から戦後への社会の移り変わりによる、ある意味必然的な流れのなかで行なわれたもので、それはそれでひとつの時代相を表わしているということになるだろう。民俗学者宮本常一も、「山の民」の変化を杉の植林という事象に注目して見ているわけだ。
でもさすがに宮本常一は、次の世紀に花粉症患者が増加して環境問題化するというところまでは見通せなかった。これもある意味致し方ないことだ。フロンガスによるオゾン層破壊だって似たような問題だろうし、現在わたしたちがよかれと思ってやっていることが、近い将来人間社会に甚大な悪影響をもたらす事態を惹き起こすことだってあるだろう。
わが国における、戦前から戦後にかけての山の暮らしの変化による一影響(それも甚大な影響)として、花粉症の拡大は歴史に残ることになる。
なお「空からの民俗学」はANAの機内誌『翼の王国』に連載された。この機内誌の質の高さはときおり耳にするものの、飛行機嫌いの私はほとんど目にしたことがない。
蛇足。「一枚の写真から」中の「村の鍛冶屋」で、鍛冶屋の写真が紹介されている。これを見て、わたしが子どもの頃に住んでいた家の目の前に、たしかに鍛冶屋としか言いようがない(実際「鍛冶屋さん」と呼んでおり、裏の作業場でトンテンカンとやっていた)家があったことを懐かしく思い出した。

*1:この噴霧薬、ムズムズしたときシュッとひと吹きしてしばらくたつと猛烈な眠気に襲われてしまうのが困りもの。

*2:ISBN:4006030339