堀江敏幸の眼を追いかけて

気になりつつも、積極的に見に行こうというつもりではなかった、というより、見送ろうと考えていたのだけれど、『芸術新潮』4月号*1に「堀江敏幸が選ぶ瀧口修造の19の夢」という小特集が組まれ、この展覧会の展示物から堀江さんがとくに気になった作品を選び、一文(「オリーヴの枝の蝸牛」)を寄せているのを読んだら、やっぱり行こうと考え直した。
そんなことなら、先週世田谷文学館を訪れたときついでに見てくればよかったと、またもや貧乏性的悔悟におそわれた。でも、まあ、天気もいいし、また散歩がてら世田谷の町を歩くのも悪くない。
この展覧会は、瀧口作品だけでなく、瀧口と交流のあった海外・日本のアーティストたちから瀧口に贈られた絵・オブジェなどの作品がおびただしく展示されていた。海外ではマルセル・デュシャンマン・レイジョアン・ミロら、国内では加納光於赤瀬川原平中西夏之合田佐和子野中ユリ武満徹ら。
瀧口作品のなかでは、何種類もの「手作り本」が気になる。この世に一冊しか存在しない手製本。紙を選び、装幀を凝らし、絵や文字にも気を配られたオブジェとしての本。野中ユリさんとの共同制作にかかる本もいい。
瀧口作品全体への理解度がいまひとつ低い私は、結局、『芸術新潮』で堀江さんが注目していたオブジェを後追いすることになった。一文のタイトルにも織り込まれたカタツムリの抜け殻に注目。小指の先ほどの小ささしかない。
また、いかにも堀江さんが好みそうな「種抜き器」。「欧州ではいまも安価で売られている定番商品だが、私の知るかぎり現行品は四つ脚ではなく、どてっとしたあまり優雅ではない箱形の台座に変えられているし、展示品には元箱と説明書も添えられて、おまけに所有者が宇宙と交信できそうな人物ときているから、その筋ではかなりの評価がなされるかもしれない」と堀江さんらしい蘊蓄の傾けぶりだ。
合田佐和子さんの「天使の缶詰」といい、錆びついた蛇口といい、堀江さんはやはり目の付けどころが違う。
ひと目見ただけ瞬時に理解することが困難な瀧口作品にくらべ、二階の収蔵品展「畏怖する眼―「もうひとつの現実」をみつめて」で展示されていた一連の小堀四郎の絵は直接魂をつかまれるような強いインパクトを持った風景画だった。とりわけ大作「無限静寂」の三部作が素晴らしい。小堀四郎という画家は、作品をほとんど公表せずに制作に打ち込んだという異色の画家だという。
瀧口修造展の図録は角背で400頁にも及ぶ豪華なものだったが、今回は我慢する(2500円)。世田谷美術館の館長が酒井忠康さんであることを知る。

*1:本号のメイン特集は曾我蕭白。4月から京都国立博物館で始まる曾我蕭白展に行きたくてたまらない。