不安はいつでもつきまとう

日の砦

黒井千次さんの連作短篇集『日の砦』*1講談社)を読み終えた。本書はいまのところ黒井さんのもっとも新しい作品集である。去年8月に出た本だが、出たときから気になっていた。ならば新刊で買えばいいものを、タイミングを逸したこともあって、古本で気長に探そうと思っていたのだった。
この作品は、長年勤めた会社を定年退職した男とその妻、彼らの年ごろの娘、結婚して別に住まいを構えた長男夫婦という一家が主人公となっている。もっとも、収められている10篇の大半は老夫婦の日々の生活に焦点が合わされる。
ごくふつうの家族が、ごくふつうの暮らしをつづけるなかで、日々プツプツとあらわれてははじけ、時間が経つと記憶のかなたに消え去ってしまう、小さなあぶくのような不安。不安に苛まれたいと望んでいるわけではないのに、ときおり意図しないまま何気なく“不安のスイッチ”を入れてしまい、後悔するということがある。そんな小さな「不安」をめぐる微妙な気配がものの見事に小説として形象化される。
たとえば冒頭の「祝いの夜」。自分(=父)の退職を祝って家族揃ってホテルで食事した帰り、乗車したタクシー運転手が謎めいた人物で、何気なく会話を交わしているうち、前に一度自分を乗せたことがあるような思わせぶりな言葉を発するので訝しんでいると、彼はわが家周辺の地理に異常に詳しいので、さらに不安が募ってくる。
ありがちなタクシー運転手との世間話が、徐々に不安にとってかわられる。その刻々たる変化がこんな感じで読者にサスペンスを与える。読む私まで何だか背筋が寒くなってくるようだった。

ステアリングを握る男の太い首筋のあたりから沈黙の黒い分泌物が流れ出し、それが足許から這い上がって身に滲み込んで来る。(15頁)
ひとつの短篇を読み終えたのでひと息つくため本を閉じ、カバーをぼんやり眺めていたら、装画に描かれた景色に見おぼえがあることに気づいた。細部まで眼をこらして驚く。根津神社のS坂の途中から、かつて坂上に建っていた(と書かなければならないのはとても悲しい)「内田百間下宿跡」(→2003/10/28条)の家を見上げた構図だったから。装画の水彩画を描いた佐々木悟郎さんは、あの家が「百間遺跡」と知ったうえで描いたのだろうか。思わぬ発見だった。
学生の頃先輩から勧められ『群棲』を読んで以来、しばらくブランクがあるが、最近なぜかこの人の作品が気になりだした。連作短篇好きとして、黒井さんの作品世界はとても好ましいのである。古本屋で安い値が付けられていると、つい買ってしまうし、ときどき読みたくなる*2
黒井作品の特質を例によって『別冊幻想文学6 日本幻想作家名鑑』で調べてみる。「オフィスとマイホームを日々往復する都市生活者の内面にしのびよる不安や倦怠の諸相を、作者は繰り返し、ありふれた日常への非現実的なものの侵入という形で寓話風に描き出している」とあった。
こうしてみると、黒井さんの作風はいまでも一貫して変わらないわけである。もっとも著者が年齢を重ねてゆくにつれ、登場する「都市生活者」も「オフィスとマイホームを日々往復する」サラリーマンであることをそろそろリタイアする年齢になっている。
つい先日読んだ岡崎武志さんの『古本生活読本』*3ちくま文庫)に、黒井さんの年賀状が挟み込まれた『走る家族』(集英社文庫)を入手したという一節があった(「私を未来に連れてって」*4)。挿入物にまつわる想像をめぐらすことを楽しむだけで、「結局かんじんの『走る家族』は読まないまま」(254頁)とあるけれど、岡崎さんも黒井さんの本を買う(読む)のかと嬉しくなってしまった。

*1:ISBN:4062124831

*2:最近読んだのは『K氏の秘密』(新潮社)。旧読前読後2003/3/12条参照。

*3:ISBN:4480420436

*4:この一文は、購入した古本に挟まっていた様々なモノをめぐるエッセイである。ここで岡崎さんは、これらのモノを「タイムカプセル」と喝破する。私も以前『BOOKISH』8号のなかでこうした挿入物について書いたことがあり、「時の栞」という似た言葉でこれを表現した山田稔さんの文章に言及した。この岡崎さんの文章まで眼が行き届かなかったのは大きな失策である。