三島由紀夫の体内時計

三島由紀夫・昭和の迷宮

ふしぎなもので、引用されている三島由紀夫の文章を目にすると、なぜか三島作品を読みたくなってくる。ただし引用はせめて旧かなづかいでなければならない。旧かなづかいでの、仮名の使い方(見ばえまで含めて)が読者に与える印象というものを三島は計算して書いていたのではないか、そんなことまで邪推してしまうほど、三島のかなづかいは憎いほど繊細で、素晴らしい。
昨年は小林信彦さんが引用した三島の文章を読み、三島の『音楽』を読むに至った(→2004/5/7条5/9条)。今回、出口裕弘さんの熱き三島論三島由紀夫・昭和の迷宮』*1(新潮社)を読んで、またしても三島作品を読みたくなってしまった。
出口さんは三島の4学年下で、十代の頃から三島作品に親しみ、彼の自決まで一貫して敬意を抱きながら読んできたという。晩年絶対的信念を抱き自決に突き進んだ三島の行動と思想に対しては疑問視する向きが多いが、若い頃から三島作品を愛読してやまなかった出口さんは、逆にそうした固定観念から自由であったとおぼしい。
これを客観的と言えるかどうかはわからないけれど、この姿勢ゆえにかえって晩年の諸作品(「憂国」「英霊の声」「太陽と鉄」、さらには『豊饒の海』四部作など)を感情抜きで作品論的に読み解くことができている、そんな印象をもつ。

私自身は相対主義者・三島由紀夫のほうを愛好する。しかし、絶対的信念と血走った眼の三島を嫌悪する気はまったくない。いちばん自然な反応をいえば、いたましい、という表現に帰着する。それはだめだ、完全にまちがっている、と考えることも多い。そしてその合間に、思いもかけなかったところで心をゆさぶられ、自分で驚く。これが、四学年遅れで三島と同時代を生きてきた人間の、いちばん嘘のない現状報告ということになろうか。(212頁)
そんな出口さんだが、いっぽうで『太宰治 変身譚』(飛鳥新社)の著者でもあるように、三島が激しく嫌悪した太宰の愛読者でもあった。親友澁澤龍彦の新居に三島由紀夫が招かれたさい、澁澤から声をかけられ、同席したときのエピソードが面白い。
酔いが回った出口さんは、いま太宰全集を読み返しているところだなどと口を滑らせ、澁澤を慌てさせたのに対し、三島はこの出口さんの「挑発」に寛闊だったという。出口さんの目に映ったのは、「豪気で、寛闊で、同席の者への細かい気配りを忘れない一流の青年紳士」(159頁)だった。
本書のキーワードをひとつあげれば、「体内時計」ということになろうか。
体内時計の秒針の刻み方が異常にせわしなかったせいだろう、ただの一秒も空白・無意味のままにしておけない。つまり俗に遊ぶことができない。戦慄すべき生涯だ。(36頁)
ここでいう「体内時計」とは、生物学的なものでなく、文学的比喩であるとことわられている。ふつうの人間に比べて、三島由紀夫という人間の時間の進み方は早い。十代で完成された小説家になってしまった。結果的に見れば45歳での死は、決して早すぎるものではない。
十代ではやばやと小説家になってから三十年、もっぱら〝虚〟に捧げられ〝実〟には供されにくい日本語を、文体の精錬に命を削りながら三島は紡ぎつづけた。おそるべき反自然の三十年というべきだろう。(45頁)
人間一般の体内時計とはモノが違う。すなわち「反自然」。反自然の30年がつぎ込まれた日本語の文体の精錬という点につき、出口さんは三島の修辞をきわめた華麗な文体を高く評価する。たんに「翻訳調」「空疎」のひと言で片づけられない重要性があるという。三島は「ヨーロッパの論理と修辞を短時日のうちに血肉化した稀有な小説家」だというのである。フランス文学者によるこの発言は重い。
そんなこってりした文体を駆使した三島を、出口さんは、澁澤邸で供されたステーキをぺろりと平らげた姿を重ね合わせながら、「肉食民族的」と規定する。生きているうちに世界的名声を獲得し、ノーベル賞を受賞したい、そんな願望は肉食民族的エネルギーの発露としか言いようがない。
本書を読んでいるうち、こってりと脂ののった肉をたらふく食べてみたい、そんな気持ちになってきた。
本書のエピローグとプロローグには、出口さんが馬込にいまもある三島邸を訪れる場面がはめ込まれる。有名な庭先のアポロン像が見えたものの、すぐにその記憶があやふやになってしまったという。
私も一度三島邸を尋ねて馬込を歩いたことがある。くだんのアポロ像も見えた。まさか自分が三島邸をこの眼で見ることができるなんて、想像もつかなかった。私の場合、本当にこの家は地球上に存在していたのだ、そんな気分に包まれたのだった。