梅酒はなるべく寝かせたい

古本生活読本

このところ毎月のようにちくま文庫新刊に古本関係の本が含まれている。ちょっと前までは律儀に買いつづけていたけれど、このところもてあまし気味になりつつあるので、手にとっても躊躇するようになった。これは供給者側(筑摩書房)の問題でなく、あくまで受容者側(私)の問題である。
そのなかでも、やはり岡崎武志さんの本は買い漏らすことはできない。新刊『古本生活読本』*1ちくま文庫)もすぐに購った。ただ、ネット書友の皆さんがさっそくご感想をそれぞれのサイトにアップされているのを目にして、影響を受けやすい私は、少し間をおいて読むことにし、このほど読み終えた。
私は岡崎さんの著作は単行本で持っておらず、文庫本(つまりちくま文庫ということになるが)からの読者である。本書『古本生活読本』は、岡崎さんの古本をめぐる最初の本『古本めぐりはやめられない』(東京書籍、1998年)の文庫版とのこと。
それなのにまったく古びた印象を与えないのは、文庫化にあたり「いまの気分とは合わない文章」(「後が気になるあとがき」)を削り、元版刊行後に発表された文章を大幅に増補、面目を一新しているのもさることながら、岡崎さんの古本に対する向き合い方が五年経とうと何年経とうと変わらず情がこまやかで暖かく、普遍性があるからだろう。
そんな姿勢は、たまたま居あわせた古本屋で出くわした店主と別の客のやりとりをスケッチした「ねぎるな!」「「猫が飢えちゃって…」」あたりの文章を読むとよくわかる。ほんとうの古本好きは、古本にだけ執着して他をかえりみない人間ではない。売る側の立場にも立って、さらに売られる本の気持ちすらわかるような人なのだ。
冒頭の一文「こちらからどうぞ、古本道への入口」では、いきなり谷崎の「陰翳礼賛」が引用され意表を突かれる。ところどころでこうした文章の芸の冴えに出会い、ほれぼれしてしまう。「林芙美子「めし」で巡る大阪ガイド」でたどられる大阪の町や風俗のルポの素晴らしさ。また、ユーモア小説家中村正常の作品をなんとかして読みたいと思った一週間後、彼の作品が収められた明治大正文学全集の一巻を見つけたときの一節。

本の方から私を呼び、向こうから我が手に飛び込んできた印象だった。(193頁)
こういう経験は自分にもある。不思議なものである。
本書でもっとも深くうなずくと同時に、比喩の見事さに舌を巻いたのは、先にも掲げた「「猫が飢えちゃって…」」の前ふりで語られている挿話だ。かつては頻繁に通いながら近年は忙しさなどでご無沙汰していた古本屋街に、雑誌取材の機会に久しぶりに訪れたときの感懐。
だから、こういう機会を得ると、ちょっと得したような気持ちになる。一年ほど寝かせた梅酒の栓を開けるような気分である。(226頁)
うまいなあ。私は「一年ほど寝かせた梅酒」を飲むという経験がないから、実際のところはわからないけれど、まったくもってうまい喩えだろうと思う。しばらく訪れていなかった好きな古本屋があるとして、そこに行くのが目的で出かけるときの気持ちとも微妙に違う。別の目的でたまたまその場所に行く機会があって、「せっかくだから久しぶりに…」という「得したような気持ち」。
たとえ好きな古本屋であっても、間をおかず度々のぞくことは、十分発酵しきれていない梅酒の栓をこらえかねて開けてしまうようなものだ。一年ほど寝かせた梅酒の栓を開けるような気持ちで古本屋を訪れることの愉楽。こんなワクワクする気持ちを味わえるのは、いまのところ古本屋を置いて他にない。