紙一重の体験

東京大学本郷キャンパス案内

大げさかもしれないけれど、生と死は紙一重だ、自分がこうして生きているのも偶然の積み重なりだと感じ、背筋が寒くなった体験がある。
私の勤務先のある大学キャンパスでは、台風や大雨といった悪天候に見舞われると、太い木の枝が落ち、キャンパス内の道路をふさいでいることがまれにある。風や雨により、脆くなった枝が耐えきれず落下してしまうのだろう。
ある日、仕事を終え帰宅途中、キャンパス内のとある道を歩いていたら、後ろでバッサリという大きな音がしたので驚いて振り向いたところ、たった数秒前に通り過ぎたばかりの場所に、道路脇の並木から落ちたとおぼしき大枝が横たわっていた。もしそこを通るのがわずか数秒遅れていたら、その枝は私に命中していたに違いない。命中すれば怪我はまぬがれないだろうし、当たり所が悪ければ…と背筋が寒くなったのである。もっともこのときは、翌日から出張をひかえていたので、ここで怪我すれば出張に行かなくてすんだかな、などと不謹慎かつはなはだしくお気楽な考えも頭をよぎった。
別のキャンパスの話になるが、並木の根元に足を挟み大怪我をした先生がいて、これがきっかけでその後木々に囲いが設置されたという噂話を耳にした。キャンパス設備の不備による事故が起ころうものなら労災が適用され、管理者責任を問われるのだから、この対応はある意味当然だろう。
とすれば、私があのとき負傷していたらあの木は伐採を余儀なくされていたのかしらん、でも並木の一本として樹齢を重ね、伐ればキャンパス環境を損なう恐れがある。枝を剪定されるだけかもしれぬ。それでは運悪く命を失っていたらどうだろう。樹木一本と人一人の命はどちらが大事なのか、そんなことにまで考えが及んだ。
私の運命を左右しかねなかった並木はケヤキである。これは、木下直之・岸田省吾・大場秀章三氏の共著東京大学本郷キャンパス案内』*1東京大学出版会)で知った。著者の三人はいずれも東大の先生、木下さんは『美術という見世物』『世の途中から隠されていること』などで著名な文化史家、岸田さんは工学部建築学科の先生で、最近の東大の建物の設計も手がけられている建築家でもある。
歴史的に、また建築という観点から東大本郷キャンパスを見るという視点は、まあ珍しくない。本書がユニークなのは、そこに大場さんという植物学の先生(所属は総合研究博物館)が加わり、キャンパス内の植物と動物について、詳しく紹介されていることだろう。
本書を読んで私の職場周辺の動植物についての知識はおろか、歩いていて「これはなんだろう」「いつ頃からあったのだろう」とふと抱くナゾの多くが解決してしまった。自分の職場が存在する空間について、かくも微に入り細を穿ってガイドする本に恵まれ、私は幸せ者である。
ところでキャンパス内の並木について、大場さんはこんなことを書いている。

そういえば秋に多い大風の日には、たくさんの枝が路面に落ちているのを目にする。つまり生きるために光を必要とする木は、枝同士が光を求め激しい競争を展開し、枯れ枝の多くは光争奪の戦いに敗れたものなのである。ときには牙を剥く大風も樹木にとっては大切な枯れ枝の掃除の役を担っている。樹々の均整のとれた樹形はこうした競合により保たれていると言ってよい。(「懐徳館周辺の木々」)
あわや私の命を奪ったかもしれなかった枝は、光争奪の生存競争に敗れた者だったのか。その哀れな末路に同情を禁じえないけれども、人間の命まで巻き添えにしかねなかったことはいただけない。
関東大震災後にキャンパス内の復興を手がけた内田祥三の構想、それによって建てられた数多くの「ウチダゴシック」の建築物、計算された動線の軸の素晴らしさについては、本書のなかで繰り返し岸田さんが称揚している。
昭和6年以前、その内田と、弟子の岸田日出刀がキャンパス計画のため描いたキャンパス俯瞰図(油絵)が紹介されている。ここに描かれているもののうち、実現したものも、そうでなかったものもある。赤門入って右側、いま赤門総合研究棟と呼ばれる建物があるあたりには「山」があった。「椿山」と呼ばれていたという。
内田祥三のキャンパス計画を描いた油彩画を見ると、椿山が緑地として保存されている。個々の建物以上にキャンパス全体の環境を重視した内田故の判断であったが、とかく目の前の建物だけに眼を奪われ、全体の姿を見失いがちな我々にとって、今だに、この一枚の絵から識るべきことは少なくない。(「消えた「山々」」)
まったくそのとおりで、全体の環境を無視し、癒しを奪うようなキャンパス内の建築ラッシュにはいい加減うんざりなのだが、そのいっぽうで、こうした意識をもつ岸田さんのような方が建築に携わっているかぎり、無秩序な開発は行なわれないだろうと安心する。
木下さん執筆部分に十分触れられなかった。たとえば安田講堂内の壁画に触れた「湧泉と採果―安田講堂を飾る壁画」、構内の食堂の変遷を簡潔にまとめた「銀杏とメトロ―食堂にも長い歴史がある」など興味深い文章が多い。とりわけ後者など、さすが東大、学食までその歴史は彫りが深いものよと感心してしまう。