東京と映画への愛情

映画の中の東京

むかしの日本映画を見ていて「おっ」と思わず身を乗り出すように注目してしまうのは、出演者たちが織りなすドラマ(筋)ではなく、その背景となっている町並である。川本三郎さんの影響に違いないが、川本さんのように映画をたくさん見た果てに細部に注目するのではないから、始末が悪い。邪道である。
たとえばその川本さんには、『銀幕の東京―映画でよみがえる昭和』*1中公新書)という好著がある。都市東京が主役となっているかのような映画(最初が「東京物語」)や、映画に映った町並を町ごと(有楽町・新橋界隈など)に紹介している。
川本さんの本は1999年に出ているが、その10年以上前、同様の視点で書かれた本がすでに存在した。昨日も引用した、佐藤忠男さんの『映画の中の東京』*2平凡社ライブラリー)だ。本書の元版が出たのが1988年、増補のうえライブラリー化されたのが2002年。当の川本さんが解説を書いている。
一年半ほど前に本書を読み始めたものの、少し読みかじった程度で中断していた。前にも触れた北村薫さんの『謎物語』と同様、あらためて最初から読んでみて、なぜこんなに面白い本を途中で投げ出したのだろうと自分を疑う。読書にもタイミングが重要だということなのだろう。
さて、本書は以下のような章立てで構成されている。

  • 第一章 東京の顔―映画監督と東京
  • 第二章 江戸から東京へ―時代と東京
  • 第三章 山の手と下町―東京の都市構造と性格
  • 第四章 盛り場の変遷―浅草・銀座・新宿
  • 第五章 アジア的大都市TOKYO―外国映画の中の東京
  • 第六章 映画の東京名所
  • 第七章 出会いと感激の都―私と映画と東京と

前半などはまるで学術書のような堅めのタイトルが並んでいるが、内容的にはこのあたり、第一章から第四章までの部分が刺激的で読ませる。とりわけ面白かったのが第一章。映画監督にそくして彼らが東京をどのように撮っているのか、丁寧に論じている。取り上げられているのは、順に小津安二郎黒澤明成瀬巳喜男の三人。この三人の名監督による都市東京への相対しかたが三者三様で、それぞれ個性的であることに惹かれた。
たとえば小津。

小津が描いたのは、東京がじっさいにどんなにすばらしいところかということではなくて、東京をすばらしいと思っている人たちの気持ちだった。その気持を描くには、大都会のこれ見よがしの景観などはむしろ邪魔でさえもあったのかもしれない。(25頁)
また別の場所では、「私は小津の戦後の作品をつねに封切りのときに見てきたが、彼はどうして東京をこんなにも静かな都市として描くことができるのだろうと思わないことはなかった」(232頁)と感慨を漏らす。
黒澤をとばして、次に成瀬。佐藤さんの成瀬巳喜男監督に対するコメントは昨日も引用したけれど、佐藤さんは、成瀬作品には出来不出来の波が大きいとしたうえで、特徴を次のように指摘する。
人通りの多い大通りのロケーションが嫌いな監督だったから、彼の映画は、大通りよりも裏通り、さらには路地の奥にあるような家が舞台になることが多かった。あるいは、セットで容易に組める横町のささやかな商店街のような場を好んだ。じじつ成瀬巳喜男は路地が好きで、ロケハンにはよく歩いて、東京じゅうの路地に通じていたという。(51頁)
昨日見た「成瀬展」にもロケハンの写真を貼ったスクラップブックがいくつか展示されていたし、昨日入手した中古智・蓮實重彦成瀬巳喜男の設計―美術監督は回想する』*3筑摩書房)の前後の見返しにも、本郷の路地裏を歩く成瀬のスナップが刷りこまれていた。
こんな成瀬好みの空間や人がぴたりとはまったとき、傑作が生まれる。佐藤さんが成瀬作品の最高傑作と推すのが、定評のある「浮雲」でなく「稲妻」だというのは嬉しい。先般フィルムセンターでこの映画を再見したとき、あらためてこの作品が名品であるとため息をついたからだ。佐藤さんはこの「稲妻」論に実に7ページを費やしている。
紙数を費やしてひとつの映画のストーリーを丹念に追い、検証するという点で、本書でいまひとつ印象に残ったのは、古川緑波らが出演した喜劇映画「東京五人男」(監督斎藤寅次郎)である。佐藤さんは、この映画がいずれ再評価されるに違いないとして、その理由を次のように述べる。
というのは、これは、戦争によって瓦礫の街と化した東京を、真向から描き出した稀有の作品だからである。絶対に再現不可能な、再現してはならない風景がここにある。(116頁)
見たいなあ、この映画。解説の川本さんもこの部分につとに注目しており、「東京五人男」に対する力の入れようは、「十五歳で終戦を迎えた佐藤さんにとって、〝焼け跡の東京〟は戦後という新しい時代の出発点だったから」(331頁)とする。
佐藤さんは新潟生まれで、国鉄職員・電電公社職員として働きながら映画評論を専門誌に投稿しつづけ、最終的に専門誌の編集者を経て評論家として身を立てた苦労人である。新潟の田舎から、恋いこがれていた町東京に出てきて、大船で働こうとするといった自伝的回想が第七章で綴られており、このなかに、「東京はこのようにあいも変わらず冷酷であった。しかしこの冷たさは刺激的でもあった」「東京では私は、自分には確固たる暮らしの土台があると安心していることが許されないのだ」のように、挫折を重ねたすえにつむぎだされた珠玉の文章がまじっている。
都市東京に対しこのように鋭く厳しい接し方をしていればこそ、本書のように客観的でありながら愛情もたっぷりしみ込んだ東京論=映画論をものすることができるのである。