伝統の相承

インド綿の服

庄野潤三さんの『せきれい』*1(文春文庫、→1/23条)を読んで印象深いのは、老夫婦(庄野さん夫婦)の住む生田から離れ、南足柄の片田舎に住まう長女一家との交流である。もっと具体的に言えば、庄野さん夫婦と長女との物のやりとり(贈答)、および長女からときどき届くユーモアあふれる手紙(葉書)である。
長女から来簡があると、奥さんが朗読し庄野さんに読み聞かせるのが慣例となっている。『せきれい』のなかでは、読まれた来簡は注釈付きで全文引用される*2。おそらく『貝がらと海の音』に始まる一連の「老夫婦物」のなかで、このスタイルは変わらないのだろう。この手紙が、贈り物のお礼に加え、家族の近況といったプライベートのことを書きながら、他人に読ませても恥ずかしくない、逆に言えば他人が読んでも気恥ずかしさを感じない、文体も千変万化で、十分引用に耐える面白いものなのだ。
『せきれい』読了直後、職場近くの古本屋の店頭で、庄野さんの短篇集『インド綿の服』*3講談社)の元版を見つけた。100円という安さだったから思わず購入してしまった。購入してから本書が講談社文芸文庫に入っていることを知ったものの、帯付で状態のいい本だったから、これで満足している。
『インド綿の服』に収められている短篇は、まさに上に述べた南足柄の長女から届いた手紙を中心に組み立てられた作品群なのだ。「インド綿の服」「大きな古時計」「楽しき農婦」「雪の中のゆりね」「誕生日の祝い」「足柄山の春」という7篇が収められている。一番早い「インド綿の服」が1981年、最後の「足柄山の春」が1987年と、発表期間は足かけ7年にわたり、発表媒体は「大きな古時計」のみ異なるというように、完璧な統一性はないのだけれど、それぞれの短篇に付けられたタイトルはほとんど便宜的と言っていいほど、内容的には長女からの手紙を紹介して長女一家と老夫婦との交流を綴ったもので変わらず、長篇とみなしてもさしつかえない。各短篇は長篇の一章に該当するわけだ。
だから『インド綿の服』は、「老夫婦物」の重要な先行作品という位置づけになるだろう。『貝がらと海の音』が95年に連載されているから、『インド綿の服』の時代より5年以上が経過している。現在のところ唯一読んでいる『せきれい』とは単純に10年の開きがある。
『インド綿の服』中のおしまいの2篇「誕生日の祝い」「足柄山の春」は、すでに中学生を頭に三人の男の子がいる長女夫婦が、四人目の男の子を授かったという「事件」が中心となっている。そういえばと思い出し、『せきれい』のページをめくり返した。長女夫婦の四男である「正雄」くんは、小学校六年生の誕生祝いにサッカーの試合で着用するベンチコートを祖父母から贈られ、この本の最後のほうで中学校に進学する。
『インド綿の服』では「民夫」くんとなっているが、同一人物だろう*4。順番が逆になってしまったが、赤ん坊が誕生し、その赤ん坊が中学に入学するという12年間の時間をはからずも2冊の本で体験してしまったわけだ。一読者に過ぎないけれど、まるで肉親のような深い感慨にとらわれた。今後庄野作品を読みつづけていく体験を重ねるたび、登場人物が経験する時間の経過をともに味わうことになるにちがいない。
それにしても長女と老夫婦に交わされる書簡の文章は、ちょっと恥ずかしい。川本さんの言葉を借りれば「家族ののろけ話」が「臆面もなく」書かれている。私はこうした話は苦手なはずだが、なぜかその甘さが胃にもたれず入ってくる。家族の幸福を描ききろうとする「決然たる意志」が、のろけ話から感じさせる気恥ずかしさを払拭してしまうのだろう。
川本さんは、庄野一家について、次のように書く。

家族揃って遊ぶという団欒が一家の伝統になっていて、三人の子供がそれぞれの家庭を持ったあとも、何かの機会でみんなが揃うと子供時代に戻ったように、遊ぶ。(『郊外の文学誌』281頁)
長女・長男・次男それぞれの夫婦、親子、みんな仲がいい。少なくとも小説からは現代の家族が抱えているような様々な問題は見えてこない。庄野さんの孫にあたる子供たちまで、ことごとく「育ちがいい」のである。庄野さんの家庭の気風、子育てが確実に子供たちへと受け継がれているのだろう。
『インド綿の服』に収められている「楽しき農婦」に、庄野さんが長女に対し、イギリス19世紀の女流作家作品の文庫本をプレゼントするという挿話がある。長女は礼状に、「これは昔、うちにあった世界文学全集に入っていて、(…)面白くて最後まで引きずり込まれて読んだのを思い出しました」と認めた。この世界文学全集について庄野さんは、「子供らが大きくなってからも家にあったが、長女が「大家さんの家作」にいる時分にそっくり譲り渡した。(…)いまは小学六年を頭に男の子ばかり三人が寝起きしている板敷の部屋の棚に収まっている」と注釈を付している。
庄野家の「伝統」、美風の相承は、子供・孫へと大事に受け継がれた「世界文学全集」というモノに象徴されているかのようである。

*1:ISBN:4167694018

*2:川本三郎さんは、「郊外に憩いあり 庄野潤三論」(新潮社『郊外の文学誌』所収)のなかで、引用される手紙は「どこかに小さな脚色がほどこされている筈だ」とする。

*3:ISBN:4062034166

*4:ここからも庄野さんの作品には何らかの「脚色がほどこされている」ことがわかる。